歌に気持ち感情を込める込めない“の前に??”【ちゃんドリル】
昨日、“歌に気持ちや感情を込めるか?”ってテーマを書いてみたのですが
あちこは気持ちや感情は“込めようとしない派”で、それは“歌えば自然についてくるモノ”ぐらいの認識なんですけど、書きながら思ったんですん。
もし気持ちや感情を込めるという概念があって、それが歌の良し悪しを決めている要素なのであれば
“料理とお皿”の関係なんじゃないか??
って。
毎度のコトながらド素人の“トンデモ理論”として、料理とお皿が歌に気持ちや感情を込めるにどうつながるか?書いて見ますんね。たぶん、込める込めないの問題でもないんじゃないかな?って思うんですよね。
例えば、“感情を込める状態が悪い”とされる場面って

料理が“お皿からこぼれている”状態で、それは込めた気持ちや感情を歌や声の質が“受け止められていない状態”なのでは??と。
じゃあ、“感情を込めない状態が悪い”とされる場面があるとしたら

皿に対して“料理が寂しすぎる”。音程やリズム、声の質が優れているのに気持ちや感情が“物足りない状態”なんじゃないか??って。
込めてるか込めてないか?の問題より
“バランス”の問題
が気持ちや感情を込める込めない問題の本質なのかな??って。
たぶん、イメージにある気持ちや感情を込めた歌って、こういう状態で

お皿に対して料理の盛り付けが“適切”な状態。これなら料理と出されても満足できるクオリティってコトになると思うんですけど

こんな感じに、皿が小さければ料理が少ないって状態は、バランスはイイんだけど“料理として物足りない”みたいな??
なもんで、もし歌に物足りなさを感じていて、でも気持ちや感情込めてもおかしくなるってコトであれば
お皿を大きくする=歌や声の質を上げていく
ってルートのほうが、もしかしたら“物足りなさ解消につながるルート”になっている気もしなくもないですんね?
最後にいつものおことわりですんが、あいかわらずの“ド素人のトンデモ理論”なのであしからず。でも
歌うってコト自体がすでに“お皿に料理を盛り付けている状態”だと思いますんけど、はてさて??
※画像はAI生成ですん。
