体が笑えば心も笑う
なんか、あんまり笑わなくなったね、と言われる。
そうだったのか?あんまり自分では考えてなかったけど、まあ確かに笑う機会は大人になるにつれて減ったような気もする。
大学生くらいのときとかすごい笑ってたよ、とも言われる。
まあ確かに、そうですね、大学生のときはなんか楽しかったのか死ぬほど笑ってたような気もします。
ただ、あれはなんか、ちょっと躁みたいな感じだった気もする。ひとしきり笑った後に、ものすごい虚脱感に襲われたことも何度かあるし、なんか生きてることがつまらなくなり、それが怖くなって急に落ち込んだりもしてた。
あれは、今思えば異常だったようにも思う。
そういえば、大学のサークルの合宿のときに、とある先輩から「君はなんか躁鬱の気があるよね」と言われたことがある。当時はそうなんすかねぇみたいに流してたけど、今思えばドンピシャに当たっている。その性格のせいで色んな人を振り回していたと思う。
今もその気はあるけど、でも特に大学生くらいのときはずっとなにかに怯えて、自分がたったひとり世界に取り残されていたように感じてしまっていた。異常なほど笑ってしまうくらい楽しく過ごせる友達がいたにも関わらず。なんの不自由なく大学に通っていたのに。なぜなのだろう。
今もときおり、暗い気持ちになることはある。ぐっと考え込んでしまうときもあるけど、そういうときは頭の中で悪しき妄想みたいなものが独り歩きしている状態だから、いったん外の世界に出るということをしている。
外の世界に出られなくても、いまは妄想に襲われているだけだから、考えることをやめようと保留することもある程度できるようになった。
いい意味で世界は僕の思うようにはならない。今日の気持ちが明日の気持ちへと続くかは分からない。
所詮は、人間と名指される肉塊がホルモンとかの影響で落ち込む、元気になるという現象を繰り返させられてるだけだ。これはニヒリズムではない。
それに人は世界から分離した自律した存在ではない。自分の心持ちなるものだけを変えれば明るく生きていけるわけではない。
植物が光合成をして生きているように、人も外部のパワーを必要としている。外部と、世界と分離して生きることはできない。一心同体なのだ。分離してもなお生きられるというならば、それはおそらく神なのだろう。
僕は神にはなれない。この不思議な肉体(心)に振り回されながら、それでもときおり笑って生きていく。
(あ、いまわたくし、絶賛お盆休み中でして、記録的な豪雨に見舞われてお外に全然出られず、そしてちょっと考える時間ができてしまってこんなことを書いてしまいました。このまま秋になるといいですね〜)
