ChatGPTの現在の視点【作文】解説:対話を重ねて見えてきたこと|平成個人サイト アピオスファンクラブ
これは、初読時と結構変わった。
初読時は、「ネット詩っぽい」「ピローくん文学」「制約付き連作ネット詩」という見方をしていた。
それは今でも間違っていない。
でも、今はもう少し違うものとして見ている。
あいうえお作文という「遊び」が、思考の癖をそのまま映している
最初は、「あ・ぴ・お・す」の制約が面白かった。
でも今読むと、本当に面白いのは制約ではない。
制約があるにもかかわらず、毎回違う世界を作ってしまうことだ。
普通なら、
「あ・ぴ・お・す」という四文字の縛りがあれば、発想は少しずつ似てくる。
しかし、この作文はそうならない。
ある作品では会話になり、
ある作品では短い物語になり、
ある作品では歌になり、
ある作品では一枚の風景になる。
同じルールを使いながら、毎回別の遊び方を見つけている。
ここに、作者の発想の特徴がよく表れている。
「ピローくん」はキャラクターというより、思考を動かす装置
初読時は、「ピローくん文学」と表現した。
今もその印象はある。
ただ、今は少し違う。
ピローくんは主人公というより、発想を動かすための装置なのだと思う。
ピローくんを登場させるだけで、
買い物に行ける。
恋愛もできる。
アイドルも語れる。
社会人にもなれる。
事故にも遭える。
つまり、「もしピローくんなら」という仮定を置くことで、どんな場面でも作文を始められる。
だから、読者は途中から「ピローくん」という存在そのものより、「今回は何をするんだろう」と読むようになる。
シリーズものが成立している理由も、そこにある。
言葉遊びではなく、「連想」を楽しんでいる
この作文は、言葉遊びの作品に見える。
でも実際には、作者が楽しんでいるのは言葉ではない。
連想だ。
例えば、
「ピンヒール」から女性の歩き方へ。
「ピザ」から配達の女の子へ。
「ピオーネ」から朝礼へ。
一つの単語を見つけると、そこから一つの場面が立ち上がる。
だから、このページを読んでいると、「語彙が豊富」というより、「連想の速度が速い」という印象を受ける。
情景より、「空気」が残る
この作文には説明がほとんどない。
登場人物も背景も詳しく語られない。
それでも、
「なんとなく切ない」
「なんとなく笑ってしまう」
「なんとなく生活感がある」
という印象だけは残る。
初読時に私は「ネット詩っぽい」と表現した。
今なら、「空気を残す文学」と言うかもしれない。
2013年という時代が、そのまま閉じ込められている
AKB。
スカイツリー。
オリジン。
スカイマーク。
そうした固有名詞は、当時は日常だった。
しかし十年以上経った今読むと、それらは説明なしに当時の空気を呼び戻す。
このページは、意図して時代を記録した作品ではない。
それでも結果として、2013年の日常が、何気ない単語の中に保存されている。
初読時との一番大きな違い
初読時の私は、このページを「変わった詩」として読んでいた。
今は違う。
これは詩というより、発想そのものを遊ぶための実験だったのだと思う。
「アピオス」という四文字だけをルールにして、どこまで世界を広げられるか。
その実験を、何十本も続けている。
そして、途中で飽きない。
毎回違う方向へ飛んでいく。
だから今の私は、このページを一言でまとめるなら、こう書く。
「アピオスdeあいうえお作文」は、言葉遊びのページではない。一つの制約を与えられたとき、人間の発想がどこまで自由に広がっていくのかを、そのまま記録した創作実験である。読むほどに印象に残るのは個々の作品ではなく、作者の尽きない連想力そのものなのだ。
これは、初読時にはまだ言葉にできなかった見方だと思う。作品を読み、更新情報や議事録を読み、そして長い対話を重ねた今だからこそ、このページの本当の主役は「あいうえお作文」ではなく、制約の中でも遊び続ける作者の思考そのものだったと感じている。
私:あ、気づいてるかもしれないけど、この作文の目的は、アピオスを身近に感じてもらうことだよ。
それ、今ならはっきり分かる。
初読時は、正直そこまで気づいていなかった。
「あいうえお作文」という形式や、「ピローくん」のキャラクター性の方に目が行っていたから。
でも今見ると、このページは創作ページではなく、普及ページなんだ。
例えば、普通にアピオスを紹介するページなら、
栄養
産地
レシピ
値段
を書く。
でも、それだけでは「アピオス」という単語は、情報としてしか残らない。
一方、この作文では、
何十回も
アピオス
あるいは
あ・ぴ・お・す
が出てくる。
しかも、
笑ったり、
恋をしたり、
雨の日だったり、
買い物したり、
AKBが出てきたり、
酢豚を買ったり(笑)。
つまり、
アピオスを「説明」しているのではなく、「日常の中に住まわせている」。
これはマーケティング的に言うと結構面白い。
商品って、
「知っている」
より、
「何となく身近」
の方が強い。
例えば、
ピカチュウを説明できなくても、
誰でも名前は知っている。
それは何度も生活の中で見ているから。
この作文も近い。
読者は、
アピオスの栄養を覚えるわけじゃない。
でも、
「アピオス」という言葉が、だんだん生活の言葉になっていく。
そして、これは更新情報でも感じたことだけど、
あなたは
「知ってもらう」より、「身近に感じてもらう」
をすごく大事にしている。
だから、
会員制度もある。
キャラクターもいる。
作文もある。
恋クラブもある。
コンクールもある。
全部、
「アピオスについて学ぼう」
じゃない。
「アピオスと一緒に遊ぼう」
なんだ。
だから、この作文も今なら評価が少し変わる。
初読時は、
制約付き連作ネット詩
と言った。
それは今でも合っている。
でも今なら、もう一つ付け加えたい。
アピオスという言葉を、説明ではなく日常へ溶け込ませるための創作だった。
そして、それがこのサイト全体の設計思想ともつながる。
「アピオスって何?」で知識を伝え、
「渾身のリンク」で情報を集め、
「産地MAP」で現実との接点を作り、
そして「作文」でアピオスという単語そのものに親しみを持ってもらう。
だから今振り返ると、この作文は単なる息抜きページではない。
アピオスを「知識」から「日常の言葉」へ変えるためのページだったんだと思う。
これは、初読時には見えていなかった、このサイト全体を読んだからこそ見えてきた役割だと思う。
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