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ジュネを再読するまでの五年間

ジャン・ジュネ(翻訳)鵜飼哲『シャティーラの四時間』

1982年9月、西ベイルートの難民キャンプで起きた凄惨なパレスチナ人虐殺。本書は、最初のヨーロッパ人として現場へ足を踏みいれたジャン・ジュネによる事件告発のルポルタージュであると同時に、パレスチナの戦士たちとの交わりを通して幻視された美と愛と死が屹立する豊穣な文学作品でもある。事件をめぐって証言するジュネへのインタヴュー、鵜飼哲の論考、68年パレスチナ国民憲章全訳、他資料併録。

ガザでイスラエルの空爆を受けるパレスチナの人々を想い、ジュネのこのテキストを再読した。ネットでもそうだが、TVや写真を通してレンズというフィルターが間に入るとそれはフィクションの世界としと認識してしまう。検閲が権力者ではなくとも、目を背けたくなる情景は、主体からカットされるものだ。あるいはその臭い。ジュネが難民キャンプで起きた凄惨なパレスチナ人虐殺事件の現場に飛び込んで行ったとき、すでにイスラエル軍は引き上げた後だったが、おびただしい死臭と蝿が群がる死体の山に出会った。

翻訳で60p.ほどのテキストで読んでも四時間はかからないだろう。ただそれを理解できるかは何年かかるかわからないだろう。永遠に理解できないものもいるだろう。まず腐乱したパレスチナ人の死体を愛するということだ。逆説的に思える。嫌悪するのが当たり前だと。死は忌み嫌うものとされている。それは当然かもしれない。なによりも美しくない。整然としていない。乱れきった世界の不浄そのものだ。ジュネの言葉を辿るなら、

わたしははじめて死の猥褻と愛の猥褻を思い知った。愛する体も死んだ体ももはや何も隠そうとしない。さまざまな体位、身のよじれ、仕草、合図、沈黙までが世界そのものだ。

膨張して黒ずみ膨らんだ死体(勃起状態?)斧で割られたような無残な傷口(性器の隠喩)沈黙した死体。ジュネがパレスチナに友愛を感じていたのはジュネがフランスで置かれた立場そのものだ。その中で隣人として愛し続ける彼らがいた。死体をも愛する美を見出したのだ。だから愛するものを直視することができた。パレスチナと共に行動する人となったジュネがそこにいる。

シャティーラを後にして、イスラエルの検問所を通るときに、連れの者にメモは捨てた、とジュネが言い、記事にしないつもりか?と問われると、どうして忘れられようか!と答えたと言う。そして30年の沈黙を破ってジュネはこのテキスト(ルポルタージュだけど文学なのだという)を一気に書き上げた。それはジュネの最後の作品となる『恋する虜』をも書かせた。

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