その瞬間、僕は負けた。 -女性の筋肉に惹かれる理由-
僕が筋肉質な女性に惹かれるようになったきっかけは中学1年生のとき「負けた」ことがきっかけでした。しかも相手は同じクラスの女の子です。
体育の体力測定。
50メートル走、ハンドボール投げ、握力、
その子はあらゆる種目で男子を上回る記録を出していました。
走るフォームはしなやかで無駄がなくゴールしたあとも息は乱れない。
ボールはしなやかに振り抜いた腕から一直線に飛び、握力計を握る前腕には力を込めた瞬間だけくっきりと筋が浮かび上がる。
周りの男子も驚く中で、彼女だけが何事もなかったかのように結果を受け止めていました。
その光景を見たとき、僕の中にあった「男性のほうが強い」という当たり前が音もなく崩れました。
正直に言えば少し怖かった。
でも同時に強烈に惹かれていました。
自分の中の“前提”が壊される感覚とそれでも目を離せないという感覚が同時に存在していたんだと思います。
それ以降、僕の視線は自然と「身体が動く瞬間」を追うようになりました。
走ったときに太ももが収縮と弛緩を繰り返す様子。
髪をかき上げた一瞬に盛り上がる腕のライン。
階段を上るときわずかに遅れて張るふくらはぎ。
止まっているときには見えないものが力を使った瞬間にだけ露わになる。
僕が惹かれていたのは、その“一瞬”でした。
そこには確かに興奮があります。
でもそれはただ消費したいという欲求とは少し違います。
一般的には不利とされる条件の中で、時間と意思を積み重ねてきた結果として現れる力。
その事実に触れたとき人の身体はここまで変わるのかとほとんど畏れに近い感情が生まれます。
だから僕は、筋肉そのものよりも「筋肉が使われる瞬間」に惹かれるのだと思います。
女性の身体は、生物学的に見れば平均的には男性より不利な条件にあります。
筋量、骨格、ホルモン。
それは事実です。
だからこそ、その前提を理解したうえで鍛錬を重ね、結果として男性を上回る力や持久力を獲得している身体には、単なる“強さ”以上の意味があります。
それは才能ではなく、努力の継続の痕跡です。
誰に強いられたわけでもなく、
誰かに見せるためだけでもなく、
それでもなお積み重ねられた時間。
筋肉は装飾ではなく、その人が生きてきた証そのものだと思っています。
この感覚を抱えながら年を重ねる中で、自然と「残したい」「記録したい」という気持ちが生まれました。
言葉でも、写真でもいい。
その瞬間にしか存在しない身体の状態を、できるだけ正確な形で留めておきたい。
写真を撮るようになったのも、その延長線上にあります。
僕は「見せるための筋肉」よりも「何を積み重ねてきた身体なのか」に魅力を感じます。
このnoteではそうした視点から筋肉質な女性の尊さやその強さに惹かれる理由を言葉にしていきます。
そして時には僕自身が惹かれてきた筋肉女子や、これまで触れてきた写真や作品についても「その身体が何を積み重ねてきたのか」という視点で記録していきたいと思います。
同じ感覚を持っていらっしゃる方々にとってこのnoteが居心地のいい場所になると嬉しいです。
※続きの記事を書きました。
今回書いた「なぜ惹かれるのか」に対して、次は「具体的にどの瞬間に負けを感じるのか」を言葉にしています。
