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 師とは何か?ん?ああ、ほら、あの12月になると走る人だよね。と冗談はさておき、師と聞いて先ず思い浮かべるのは、たぶん学校の先生のことではないだろうか?意外にもと言うか律儀にもと言うか、私は幼稚園から高校までの担任の先生の名前を今でも覚えている。と言っても苗字だけだが、何故か中1の担任だけは名前は浮かぶのに苗字が思い出せない。やはり、先生というのは好き嫌いに関わらず、子供にとっては大きな存在なのだろう。今のことは分からないけれど、イメージとしては今より昔の方が先生の影響力は大きかったような気がする、というか良くも悪しくも好きにやってたよねとか。
 私が通った幼稚園はお寺で、入学した小学校が小さな分校だったことは以前書いた。3年の担任は若い女の先生で、ある日河原できれいな石を探しましょうという授業があって、一生懸命探して見せたら「どうしてこんな小さな石ばっかり!」と怒られて、えっ?きれいって大きさ?とその理不尽さに心が震えたのだが、当時の私の辞書には残念ながらまだ理不尽という言葉は無かった。4年の時の男の先生は釣り好きで、一緒に川で竿を並べたこともあったのだが、やがてその先生が3年の時の先生と結婚するという話を聞いて、子供心に大丈夫かなぁと心配したのだった。
 高校の時、アフロヘアに白衣を着た化学の先生がいて、よく授業が脱線して宇宙人の話になった。自分は宇宙人とコンタクトしていて、その宇宙人が言うには地球はこの先もう長くはないらしいみたいな。困った。受験のためにいろいろ我慢しているうちに世界が終わってしまったらどうしよう?かと言って、その話が本当かいつのことなのかも分からない。結局、その時はその時だと割り切って、取り敢えずやるべきことをやることにした。幸いまだ地球は健在で(とは言っても随分雲行きは怪しいが)、あの時やりたかったことは概ね取り返せたように思う。全く人騒がせな…。
 とここまでを読み返してみると、何だかあまり恩師の事例になっていない気もするけれど、勿論そんなことはない。いろいろとお世話になった記憶も多々ありながら、一人一人書いていると長くなってしまうし、真面目な話はちょっと照れくさいのでまた別の折にでもということで。そう言えば、師というものについて、森鴎外が「妄想」という作品の中でこんなことを書いている。「自分は辻に立っていて、度々帽を脱いだ。昔の人にも今の人にも、敬意を表すべき人が大勢あったのである。帽は脱いだが、辻を離れてどの人かの跡に附いて行こうとは思わなかった。多くの師には逢ったが、一人の主には逢わなかったのである。」私が言ったら傲慢以外の何物でもないだろうけれど、言いたいことは分かるような気がする。師というのは先生だけではなく、きっと人生の至る場面で出会い得るものなのだろう。さしずめ、私にとって師とも呼ぶべき影響を受けた人を思いつくまま挙げてみるとすれば、ジョン・レノン、太宰治、忌野清志郎、村上春樹、橋本治、と言った方々だろうか。あ、それからもうお一方?花、風、月、空、水、光、生きとし生けるもの、大いなる自然!そうか、正しくそれが私にとっての主なのかもしれない。


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