知ることと分かること
村上春樹さんの「夏帆」を読んだ。少し前に大病をされたとのことで、お痩せになった近影を拝見して心配していたのだが、その経験が新たなモチベーションになったというインタビュー記事を読んでちょっと安心した。今回読んで先ず感じたのは、なんて読みやすい文章なんだろう!ということだった。何を今更というか、別に今回に限ったことではないのだが、このリズミカルな読みやすさは、意識的に整えられた特別なものなのだということを改めて。それとも関係するのだが、物語をどんどん先へと読ませる推進力がすごいというのが2点目。ストーリーの中では、何もせずに留まる時間も長いのに、それでも次にどうなるのかが気になって、気が付けばどんどんページをめくっている。350ページといえば立派な長編なのにも拘わらず、村上作品の上下2冊とか3冊組とかに慣れている身としては、1冊で完結する物語が中編くらいのイメージで、あっという間に読み終えてしまった。
物語の中で、絵本作家である主人公が描いた作品が3つ出てくる。それぞれにストーリーとリンクする印象的な作品だけれど、中でも最初の作品を読んで私はエッ!?と思ってしまった。多分、ふぅ~んという感じで読み過ぎる人が多いのではないかと思うのだが、私としては随分すごいことをサラッと書いてるなぁと。というのも、その内容は自分が若い時に抱えて何十年もかけて自分なりの答えを得たものだったからだ。言葉にしたものを読むと、まぁそうだよねという程度で済んでしまうことで、自分の中にその問いが無ければ、きっと何の引っ掛かりもなくスルッと通り過ぎてしまう。それに、もしその問いを持っていたとしても、誰かに答えを教えて貰うのと自分で答えに辿り着くのとは多分同じことではない。丁寧に読み込んでその内容を「知った」としても、それは自分で考え経験して「分かった」こと程の重さや深さを持つのが難しいと思えるからだ。頭で理解できても実感としてはピンと来ないみたいな。とは言え、それじゃあ読んでも仕方ないのかと問われれば、勿論そんなことは全くない。結局読書というものは、読むときの自分の状態や問題意識に応じて行われるものなんだろう。だからこそ、同じものでも読むたびに響いてくる箇所が違ってくる。それだけ、以前と今とで自分が変化(成長?)しているということだ。という訳で(一体どういう訳だ?)、今回も村上春樹ワールド全開の新作、楽しませて頂きました。
