連載恋愛小説-「秘密」⑭
続きです
(2103文字)
いっちゃんは夜になると高熱にうなされた。
僕がいっちゃんの様子を見にいった三日目の夜だった。薄灯りの中、いつもの様におでこに乗せているタオルを取替え、顔を覗き込む。眉頭にキュッと皺を寄せ辛そうな顔をしている。お湯で絞ったタオルで優しく顔を拭いてあげる。
僕は傍らにしゃがみ込み、しばらくいっちゃんの掛け布団の上を撫ぜるようにしていたら、少し眠ってしまったようだ。
おでこのタオルを取替えようと部屋を出る時だった。
「......さん」一瞬とても小さな声が静まり返った夜の空気を微かに震わした。
熱でうなされうわ言なのか、夢でも見て誰かを呼んでいるのか......
父の名を呼んだのか......僕の名を呼んだのか......
もう一度顔を覗き込みそっと離れようとした時、夢の中のいっちゃんが誰かに救いを求めるようにふわっと手を上げ、一瞬、僕の服に触れ布団の上に落ちた。
僕はいっちゃんの手をそっと優しく握りしめ、布団の中に入れようとしたら、ほんの小さく握り返してきた。
僕は胸が小さくドキンっとして、熱で熱くなったその手を今度は強めに握り返した。
その手と手は離れることはなく、いっちゃんの弱々しいその小さな手は、僕の手の中にいることを拒まない。僕はその様子を恍惚とした面持ちで眺め、胸の小さな高鳴りは、いよいよ喉元までせり上がり、握っていた手をそっと置き、肩から腕を撫でつける。いっちゃんの湿った髪の毛に指を伸ばし、熱くほてった唇に顔を近づけた。仄かに開いた口元から漏れる息は熱くて甘酸っぱい匂いがする。泣きたくなるぐらい胸の鼓動は高鳴って、僕はそっと、その熱を帯びた柔らかなそれを人差し指でなぞってみた。僕はその熱を奪いたくなって、でも奪えなくて、ほんの少し僕の熱と重ねてみた。いっちゃんの頬をそっと包み込み、部屋をあとにした。
あれを口づけと言うのだろうか。
あまりの愛おしさに僕はとうとう踏み出してしまった。
トキオおじさんと僕の何が違うのだろう。
僕は自分の部屋に戻っても、扉の前に立ちすくし、恐れ慄き体が震えていた。
僕はただ、ずっといっちゃんと一緒に生きていければ良かったのに、僕は自ら壊してしまうのか。
背徳的な甘美さは、人間を狂わせる。
いっそ、僕は狂ってしまおうか。
いっちゃんも一緒に狂ってくれるだろうか。
闇に堕としたくないのに、一緒に堕ちてしまいたい。闇の中で二人で戯れるのはどうだろう。
僕は気がつくと、涙を流していた。
次の日の朝、キッチンに立っている僕の背後から「おはよう。」っと、澄んだいっちゃんの声がした。
「いっちゃん。おっ、おはよ。もう、大丈夫なの?」
「うん。ありがとう。もう、熱が下がったみたい。」
「そう。それは良かったね。でも、まだもう少しゆっくりしていた方が良いよ。」
「そうね。そうする。ありがとね、和さん。」
そう言っていっちゃんは部屋に戻っていった。
昨夜のことはやはり、何も知らないのか......
僕はほっとするような、わかって欲しいような、知られてはいけないような、落ち着かない気持ちで一日を過ごした。
夜遅く、また、いっちゃんの様子を見に部屋をノックした。
いっちゃんは薄灯りの下、今日は目を開けていた。
「いっちゃん、まだ起きていたの?」
「うん。今夜はもう、体は随分楽よ......昨夜、長い夢を見ていたみたい......和くんが随分幼くて。走り回るから掴まらないの。」
「うん。それで。」
「和くん、小学生の時、いきなり口を押し付けてきたことがあるでしょ。夢うつつの中、ふと、思い出したの。本当に好きな人においておきなさいって......」
僕は思わず唾をごくりと飲み込み、その音が聞こえたんじゃないかと、焦って少し咳払いをする。
「和くん、となり、入ってきていいわよ。」
「えっ?」
「幼い頃、ずっと一緒に寝ていたわよね。」
「............」
「和さん、となりに.........入ってきて。」
「いっちゃん.........いいの?」
「.........ずっと望んでいたことよ。もう、素直になろうかな.....」
「いっちゃん......」
僕といっちゃんは、泣いていた。
ぼろぼろぼろぼろ、流れるままに流していた。
「恥ずかしいから、あかりは消してね。」
切ないほどに甘やかで、擦り合う頬は僕の涙といっちゃんの涙がぐじょくじょに混じり合い、舌を這わすと、とてもしょっぱくて、堪らなく愛おしくて愛おしくて、益々涙が溢れ出る。震える白い体は小鳥のようで壊さないように守ってあげたくなる。そっと、そっと、一つ一つ確かめる。震えていた体も緩やかに力が抜けていき、全身から発する匂いは光をともない僕には煌めく甘いパウダーが降り注がれているようだった。白くて甘い柔らかさに包まれる時間は、もう死んでもいいと思いながら、嫌だ、明日も明後日も明明後日も、延々に溶け合って、消えてなくならないでと、切望する。
僕らは抗いつつ、抗わない。
いつかこうなるだろうと怯えながら、こうなるだろうことを願っていた。
もう堪えきれず、甘やかな時間と引き換えに罪を引き受けることにした。
続く
いいなと思ったら応援しよう!
応援していただけると、とっても嬉しいです。いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます。