連載恋愛小説-「秘密」⑪
続きです
(1525文字)
「和さん、お茶、こちらに置いておきますね。」
「あぁ、ありがとう。」
僕は当初の予定通り、家の中の一画に会計事務所を開業し、地元の父親世代などにも助けを借りて少しずつ顧客を増やしていった。今はまだ、人を雇うことは考えていない。いっちゃんは僕の補佐的なことも覚えつつ雑用をしてくれている。
僕が開業する頃からいっちゃんは、僕のことを「和さん」と呼ぶようになった。
父の死という事実をきっかけに、僕らはまた、二人でこの家で暮らすことになった。
人生は全て流動的で、そういうものなんだと思う一方で、僕は決して父の死を願ってはいないけれど、密かにいっちゃんに、より、近付きたいと心の何処かで願っていた通りになっているのではないかと、僕は時々身震いする。そしてそれは少し後ろめたい気持ちを引き摺る甘美なものであったりし、その気持ちを払拭するように、より僕は父と母に深い気持ちで毎朝毎晩手を合わす。しかしそこに懺悔の気持ちなどは勿論なく、ひたすらに、ありがとうございます。っと、深く感謝する。
朝はまた、いっちゃんの湯気の上がったお味噌汁の匂いから始まるようになった。
一人暮らしの間に、朝はコーヒー一杯だけの生活が体に馴染みかけていたが、いっちゃんの「食事作りは私の楽しみなの。」っという言葉にすっかり甘えて、先程まで眠っていた体がじわっと立ち上がるような、心地良く沁み込んでいく様を味わっている。
時折りいっちゃんが、僕のお味噌汁を飲む姿を、目を細めて愛おしそうに見ているように見えるのは、気のせいだろうか。
いっちゃんと僕は血は繋がってはいないけれど、確かに細く繋がっている透明な糸が見える。それは一緒に生きてきた深い絆であり情愛だけなのだろうか。切れることはないと思いながら、万が一にでも切れることがあるかもしれない危ういものだと思うと、僕は切なくて、それをより、守りたくなる。
お昼はその日の仕事の都合によるが、家に居る時は二人で簡単に作れる昼食をし、夜は仕事や友達や村の付き合いがない限り、いっちゃんとその日の話しをしながら、一緒にお酒を飲む日もある。
大人になった僕はいっちゃんと同じ大人としての話しがゆっくりと出来るこの時間が殊の外好きだ。たまに話しをしながら、ふと、いっちゃんを相手によく喋っていた父の姿が頭をよぎり、僕も父に似ているのかと一人頭を掻きむしりたくなる。
ある日僕は出先で見つけた和菓子屋で、いちご大福をニ個買って帰った。家に帰ると近所の和菓子屋の箱が置いてあり、いちご大福がニ個入っていた。僕たちは目を合わし、声を出して笑った。
白い求肥は柔らかく、中のジューシーさを閉じ込めて、まるでいっちゃんのようだと思いながら、一口、あんむと口にする。
「う〜ん。美味しい。」
「美味しい〜。」
っと言って足をバタバタさせたのはいっちゃんだ。いっちゃんのこういう子どもっぽいところは、幾つになっても変わらない。
みるみる内に、二人の口の周りが白くなり、お互いそれを見て、また、吹き出す。
こうして二人だけの夜をいくつも重ねていく。
凪のように穏やかな日々だった。
明日も、明後日も、ずっと続くと思っていた。
仕事の方も概ね順調だ。
クライアント様は地元の企業や個人がほとんどで、いっちゃんと顔馴染みの人も多い。いっちゃんがお茶を出すと、「逸子さんの入れるお茶は美味しいねぇ。」っと、雑談になることもあれば、たまに「こんな綺麗なお母さんがいたら先生も結婚する気も起きない筈だ。」等とあからさまに言う人もいる。いっちゃんは大概にこやかに微笑んで、さっとその場を下がっていく。
そうやって二人過ごしていたある日、事件が起きた。
続く
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