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振り返りは、コーヒーを淹れることに似ている。

私は「経験すれば成長する」という言葉に、少し違和感があります。

もちろん、経験は大切です。

でも、経験しただけで人が成長するなら、同じ仕事を何年も続けていれば、誰もが一流になっているはずですよね。

現実はそうではありません。

同じ経験をしても、大きく成長する人もいれば、何年経っても同じ失敗を繰り返す人もいます。

その違いは何なのか?

私は、振り返りにあると思っています。

いや、もっと正確に言えば、振り返りとは、経験から未来に使える教訓を抽出する営みです。

経験そのものではなく、経験から何を持ち帰るか。

そこに、人の成長の差が生まれるのだと思います。


コーヒー豆を、そのまま食べてもおいしくない

振り返りはコーヒーを淹れることに似ていると思います。
一日の出来事は、コーヒー豆としよう。

お客様との商談。

社員との会話。

プロダクト会議。

現場で起きたトラブル対応。

役員と話す何気ない雑談。

その一つひとつが、コーヒー豆です。

コーヒー豆をそのまま食べても、おいしくはありません。

経験も同じで、ただ積み重ねただけでは、学びにはならない。

大切なのは、その経験から何を抽出するかです。


学びを決めるのは「命題」

ここで重要になるのが、命題です。

命題とは、「今の自分は何を学びたいのか」という問いだと思っています。

私の場合、

  • どうしたら、組織をより強固にできるのか。

  • 売上を最大化し、経費を最小化するには、どんな仕組みが必要なのか。

  • 会社を次の10年も成長させるために、今の私は何を学ぶべきなのか。

この問いがあるからこそ、経験という豆から学びを抽出できます。

命題がなければ、何を取り出せばいいのか分かりません。

コーヒーも同じです。

「どんな一杯を淹れたいのか」が決まっているから、豆を選び、お湯の温度を決め、挽き方や抽出時間を調整します。

振り返りも同じです。

命題があるから、経験は知恵へと変わります。


命題とは

ナウシカは変わらない。でも私は変わった。

最近、久しぶりに『風の谷のナウシカ』を観た。

子どもの頃は、王蟲が怖いとか、巨神兵がかっこいいとか、そんなことばかり見ていました。

大人になって見返すと、自然と人間の関係や、戦争、人間の傲慢さが見えてきます。

さらに経営者になった今では、クシャナという人物の見え方がまったく変わりました。

以前は悪役だと思っていました。

でも今は、一つの意思決定で多くの人の人生を左右する立場の人として見ています。

何が正しいのか分からなくても、決断しなければならない。

理想だけでは組織は守れない。

力を使うことが正しいとは思わない。

それでも、力がなければ守れないものもある。

そんな葛藤を抱えながら前へ進む姿に、経営者として何度も考えさせられます。

映画は何も変わっていません。

変わったのは、私です。

私が抱えている命題が変わったから、映画から受け取る学びも変わったのです。

私は、本も映画も仕事も人生も、すべて同じだと思っています。

人は見たいものを見ているのではありません。

「人は、自分の問いを通して世界を見ている」


AIにはできない仕事

最近のAIは、本当に優秀です。

議事録を作り、会議を要約し、情報を整理し、共通点を見つけ、構造化までしてくれます。

私も毎日のように使っています。

その価値もよく分かっています。

でも、一つだけAIに任せられないものがあります。

それは、意味付けです。

AIは「何が起きたか」は整理できます。

「何が共通しているか」も見つけられます。

しかし、

「この経験は、自分にとって何を意味するのか」

「この出来事を通して、自分は何を変えるべきなのか」

その答えだけは、自分でしか見つけられません。

誰かの教訓、例えば自己啓発本などを読んで「なるほど!」と思うことはできます。

AIがまとめた振り返りを読んで「分かった!」と感じることもあります。

でも、それだけでは行動は変わりません。

自分で問いを立て、自分で意味を見つけ、自分で教訓を抽出する。

そのプロセスを通るからこそ、経験は自分ごとになります。

そして、自分ごとになった学びだけが、人を変えていきます。

私は、この違いが「知識」と「血肉」の違いだと思っています。

人の領域

学びを血肉にするために

私は、一つの経験に最低三回向き合うようにしています。

一回目は、直後です。

事実が新しいうちに、起きたことだけを書き留めます。

二回目は、その日の夜。

「今日、一番学ぶべきことは何だったのか」と自分に問いかけます。

ここで初めて、一日の出来事が学びになります。

三回目は、一週間以内です。

私は、その出来事を誰かに話します。

人に伝えようとすると、「それってどういうこと?」「なんでそう思ったの?」

そんな問いを受けることを想像します。

その瞬間、自分の理解はもう一段深くなります。

私は昔から、知る、分かる、行う、できる、教える、分かち合う。

この順番を大切にしています。

「教える」までいって、ようやく本当に理解したと言える。

だから私は発信しています。少ないですが。笑

発信することが目的ではありません。

学びを血肉にするためです。


戻り漆塗り

このプロセスは、一度で終わりません。

実践して、振り返る。

また実践して、また振り返る。

私は、この繰り返しを「戻り漆塗り」のようなものだと思っています。

漆は、一度塗って終わりではありません。

何度も塗り重ねることで、深みと強さが生まれます。

学びも同じです。

一度理解しただけでは、自分の判断基準にはなりません。

経験を重ね、意味付けをし、行動し、また意味付けをする。

その積み重ねによって、知識は少しずつ血肉になっていく。

私は、それが本当の学びだと思っています。


今日、どんな一杯を淹れますか?

私は、振り返りは反省会ではないと思っています。

目の前の日常に隠れている学びを見つけ出す、とても知的で面白い時間です。

世界は、誰に対しても同じ景色を見せています。

でも、そこから何を受け取るかは、人それぞれです。

世界は鏡です。

命題がなければ、世界は何も答えてくれません。

でも、「今日は何を学びたいのか」という問いを持った瞬間、いつもの会議も、何気ない会話も、失敗も、成功も、すべてが学びの材料になります。

経験というコーヒー豆に、自分だけの問いを注ぐ。

そこから抽出された学びを行動に変え、また振り返る。

その繰り返しが、少しずつ自分を変えていくのだと思います。
AIは、学びを整理することはできます。

でも、何を学ぶのかを決めるのは、自分しかいません。
だから今日も、私は自分に問いを投げかけます。

今日、私は何を学ぶのか。

そして、あなたは今日、どんな問いを持って一日を過ごしますか。

世界は鏡

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