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あおいうにが祝福結婚を強く忌避しつつ、婚姻制度には拘る理由

合同結婚式や純潔教育には、人間の自由意志や多様な愛の形を認めない強制力がある。

それらは「愛の純度」を外部の権威によって定義し、人を制度や思想に従わせるための装置に過ぎない。ゆえに私は、そうしたものを肯定できない。

しかし、婚姻制度そのものを否定するわけではない。

結婚は本来、外部からの強制ではなく、個人が主体的に選び取る関係性の一形態であり、社会的な契約でもある。私は「一人の人と添い遂げたい」と考えるが、それは制度に縛られたいからではなく、時間の流れとともに変化する関係を、同じ相手と持続的に築き上げることに価値を見いだしているからだ。

家庭や家族制度もまた、制度の枠としてではなく、他者と共に生き、互いを理解しようとする努力の積み重ねとして意味を持つ。人は孤立した存在ではなく、他者との関係性のなかで自己を認識し、成熟していく。

そうした関係の最たるかたちの一つが「家庭」であり、それを築くことは、人間の根源的な営みとして重要だと考えている。

私にとって人生の目的は、他者と関わり、すれ違いながらも理解し合おうとし続けることだ。

本来、結婚はその対話とコミュニケーションの果てにあるものであるべきだ。

だが、祝福結婚のように、出会いも対話もすっ飛ばして「正しい結婚」が一方的に決められるようなシステムには、真の意味での他者との交流が存在しない。

そこには、関係性を築くという人間の営みがごっそり欠落している。


愛情は流動的で、状況や感情によって変わる。しかし、その変化を受け入れ、乗り越え、共に生きる選択を自ら繰り返すことが、私にとっての「添い遂げる」という意味である。

そして、それがどうしても困難になったときには、離婚という選択もあっていいし、再婚してまた別の関係性を築き直すことも否定されるべきではない。

大切なのは、関係を一方的に継続することではなく、互いを尊重しながら関係のあり方を何度でも選び直せることだ。

だからこそ、私は他者に決められた相手ではなく、自ら選び続ける一人の人と、対話と変化を引き受けながら関係を築いていきたいと願っている。

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