30年ぶりに箱から出てきた萩焼の茶碗
わたしはモノであっても魂が宿っていると思ってるんだと思う。
自分のことなのに「思ってるんだと思う」と書くのは
自分の行動を振り返ってそう思うから。
これがなかなか面倒くさい。
愛車に乗る時は、自宅から少し離れた機械式駐車場から姿を現すたびに、
「久しぶり、今日もよろしくね」
と声を掛けずにはいられないし、
ドライブして帰ってきて入庫するときは
「お疲れ様、あなたのお陰て楽しい旅になったよ。ありがとう。」
とつい言ってしまう。
先日、実家の地下の倉庫からたぶん30年以上桐の箱に仕舞われたままの萩焼の茶碗が出てきた。
薄紙に包まれたその茶碗はおそらく初めて明るい場所に出てきたのでしょう。
なんだか、
「あーやっと暗闇からぬけだせた」
そんなふうに語っている気がした。
だけど、なんか、かびくさい。
そこで、わたしはあの手この手でにおいをとり、
風通しのいいところに置き、なんとか使える状態にしようとしている最中。
長年、本来の役目を果たせなかった茶碗に自分を重ね合わせているのかも、と思ったり。
なかなか面倒な性格だなあと思う。
さっさと見切りをつけられたらモノゴトがサクサク進むのに。
