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「無理しないで」その優しさが、本人の元気を奪ってしまうこともある

「もう年だから、わたしはできないよ」

施設で暮らす方から、ときどき、そんな言葉を聞きます。

ご家族からも、こんなふうに言われることがあります。

「もう無理させたくないんです」
「できるだけ、のんびり過ごさせてあげたいんです」

どちらも、優しさから出た言葉です。

ご本人は、誰かに迷惑をかけたくない。ご家族は、つらい思いをさせたくない。

その気持ちは、とてもよく分かります。

長い間、相談員として携わっていると、ご本人やご家族が、ある感覚を持たれていることが多いことに気づきます。

年を重ねたら、静かに過ごすもの。
誰かの世話になり、迷惑をかけないように、ひっそりと過ごすもの。

そういう、「引き際の美学」のようなものです。

それは、慎ましく、美しい考え方だと思います。
けれど、現場で様々な方を見ていると、ふと思うことがあります。

休むことと、役割を手放すことは、同じではないのではないか、と。

今日は、施設で見てきた「小さな役割」と「生きがい」について、お話ししたいと思います。



「してもらう側」になるということ

施設で暮らす方に、何かをお願いしようとすると、最初にこう言われることがあります。

「もう年だから、できないよ」
「こんな体じゃ、役に立たないよ」
「迷惑かけるだけだから」

その言葉を聞くたびに、私は少し胸が痛くなります。

本当に何もできないから、そう言っているわけではないことが多いからです。

長い人生の中で、家族のために働き、家を守り、子どもを育て、地域の中で役割を担ってこられた方々です。

それなのに、年を重ね、体が思うように動かなくなり、施設で暮らすようになると、いつの間にか「してもらう側」になります。

食事を用意してもらう。
掃除をしてもらう。
洗濯をしてもらう。
薬を管理してもらう。
移動を手伝ってもらう。

もちろん、どれも必要な支援です。安全に暮らすために、介護が必要な場面はたくさんあります。

けれど、何もかもしてもらう生活の中で、ふと感じてしまうのかもしれません。

「自分は、もう誰かの役には立てないのではないか」と。


「無理させたくない」という優しさが、奪ってしまうもの

一方で、ご家族の気持ちも、とても自然なものです。

長年頑張ってきた親に、もう無理をさせたくない。
転んだら大変だから、危ないことはさせたくない。
失敗して落ち込むくらいなら、最初からやらせない方がいい。

そう考えるのは、ご家族として当然のことです。

特に、家で頑張ってきた姿を知っているご家族ほど、「もう十分頑張ってきたのだから、ゆっくりしてほしい」と思われます。

それは、まぎれもない愛情です。

ただ、その優しさが、いつの間にかご本人の役割を奪ってしまうことがあります。

「危ないから、座っていて」
「疲れるから、やらなくていいよ」
「それは職員さんにお願いすればいいから」

その言葉に、悪意はありません。

けれど、ご本人の中には、こう残ることがあります。

「自分は、もう何もしない方がいいのか」
「自分がやると、迷惑になるのか」

同じことは、私たち施設の側にも言えます。

職員が何でも先回りしてやりすぎると、ご本人の「できること」まで小さくしてしまうことがあります。

少し時間をかければご自分でできること。
見守りがあればできること。

そうしたことまで、こちらが全部やってしまう。

その方が、早くて、安全に見えるからです。

けれど、ご本人にとってはどうでしょうか。

自分でできていたことを、少しずつしなくなる。
頼まれることがなくなる。
ありがとうと言われる機会が減る。

その積み重ねが、その人の元気や意欲を、静かに奪ってしまうことがあります。

介護は、何でも代わりにやることではありません。

その方ができることを、できるだけ残していくこと。
その人らしく暮らせる場面を、生活の中に残していくこと。

それも、とても大切な介護だと思います。


施設で見てきた、小さな役割

画像はイメージです

特別養護老人ホームで暮らす方々が、生活の中で自分の役割を見つけて、生き生きとされる。

そんな場面に、私は日々出会っています。

食事のあとのテーブル拭き。
フロアの掃き掃除。
洗濯物をたたむこと。
新聞を配ること。
ベランダの植物に水をやること。

どれも、ささやかなことです。

施設の外から見れば、「小さなこと」と思われるかもしれません。

けれど、その小さな役割をお願いすると、本当にいい表情をされる方がいます。

「これ、お願いしてもいいですか」

そう声をかけると、ぱっと表情が変わるのです。

「いいよ、持ってきな」
「もっとやるよ」
「どんどん仕事をちょうだい」

そんな言葉が返ってくることもあります。

まるで、現役の頃に戻られたかのように、背筋が少し伸びる方もいます。

考えてみれば、当然なのかもしれません。

今、施設で暮らす高齢者の中には、戦後の混乱期や高度成長の時代を生き、働くことが当たり前だった方も多くいらっしゃいます。

じっとしているより、体を動かしていたい。

自分から仕事を探し、見つけると、嬉しそうに取りかかられる。

人は何歳になっても、誰かの役に立ちたい、自分にできることをしたいという気持ちを、持ち続けているのだと感じます。

大事なのは、「できることを探す」視点です。

立って歩けなくても、座ったままでできることがあります。
片手が動きにくくても、もう片方の手でできることがあります。

認知症があっても、昔から体に染みついた動作が残っていることがあります。

できないことだけを見ると、関わりは「やってあげる」方向に進みます。
けれど、できることに目を向けると、声かけが変わります。

「これなら一緒にできそうですね」
「ここまでお願いしてもいいですか」
「最後だけ手伝ってもらえますか」

役割は、能力を試すためのものではありません。

その人が、自分の力を感じられる時間をつくるものだと思います。


「ありがとう」が、役割を生きがいに変える

ただし、役割をお願いするときに、忘れてはいけないことがあります。

それは、ただお願いして終わらせない、ということです。

やっていただいたら、きちんとお礼を伝える。

「ありがとうございます」
「助かりました」
「いつも丁寧ですね」

その一言があるかどうかで、ずいぶん違います。

感謝の言葉を受け取ると、その方の表情が変わるのです。

「またやるよ」
「明日も持ってきて」
「私の仕事だから」

そんなふうに、自然と次につながっていくことがあります。

役割は、ただ作ればよいものではありません。

任されること。
できたことを認められること。
ありがとうと言われること。

その積み重ねがあってはじめて、役割は生きがいに近づいていきます。

逆に、お願いだけして感謝がなければ、それは単なる作業になってしまいます。

「やらされている」と感じれば、気持ちは前を向きません。

ご本人が「自分がやったことで、誰かが助かった」と感じられること。

その実感が、何より大切なのだと思います。

そして、もうひとつ。

役割を持つことは、無理をさせることとは違います。

体調が悪いときに頑張らせる必要はありませんし、本当は断りたいのに気を使って引き受けていないか、その方の表情を見ることが欠かせません。

役割は、職員の手間を減らすためでも、ご家族を安心させるためのものでもありません。

あくまで、ご本人のためのものです。

「役割が大切だから、何かをさせなければ」と考えてしまうと、それもまた別の押しつけになってしまいます。


ご家族にできること

もし、ご家族が施設で暮らす親御さんを見て、

「無理させたくない」
「何もせずゆっくり過ごしてほしい」

そう思われるなら、その気持ちはとても自然です。
でも、もしよければ、少しだけ視点を変えてみてください。

「何もさせないこと」だけが、優しさではないかもしれません。

その方ができることを、少しだけ残すこと。
ありがとうと言われる機会を、なくさないこと。

それもまた、ご本人を大切にする関わり方の一つです。

面会のときに、簡単なことをお願いしてみてもいいかもしれません。

「この写真、どっちがいいと思う?」
「お父さん、この袋を持っていてくれる?」
「お母さん、この花に水をあげてもらっていい?」

それは介護というより、暮らしの中の自然なやりとりです。

何かをお願いすることは、負担をかけることだけではありません。

「あなたの力を、まだ必要としている」

そう伝えることでもあるのだと思います。


最後に

「もう年だから、できないよ」

そう言われたとき、私たちはつい、その言葉をそのまま受け取ってしまうことがあります。

「わかりました、無理しないでください」

それも、もちろん必要な言葉です。

けれど、ときにはその奥に、こんな気持ちが隠れていることがあります。

「本当は、まだできることがあるならやりたい」
「誰かの役に立てるなら、うれしい」
「ありがとうと言われる自分でいたい」

「無理させたくないんです」

その優しさは、とても大切です。

でも、その優しさが、ときにご本人の役割まで奪ってしまうことがある。

そのことも、私たちは忘れずにいたいと思います。

植木の水やりでも、洗濯物たたみでも、食卓を拭くことでもいいのです。

何かを任され、ありがとうと言われる。

それだけのことが、その方の表情をふっと明るくすることがあります。

その姿を、私は施設の現場で、何度も見てきました。

年を重ねるということは、役割を手放すことではありません。

できることが減っても、できることのすべてがなくなるわけではないのですから。

その人が、その人らしくここにいるために。

そして、「まだ自分にもできることがある」と感じながら、今日を過ごすために。

小さな役割は、暮らしの中にある、とても大切な支えなのだと思います。


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