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小エッセイ:音楽は生命の逆行

こんにちは、青鴉真尾です🌸
今日は、「楽器ってなんだろう」です。

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どうして人は音楽に心を動かされる瞬間があるのか。
例えば3.11。あのあと。


音は空気の振動。
振動するとき、
その物体は生きる。
私たち生者の細胞は震えている。
だから、熱を持つ。




弦やリード、打楽器の張った皮。
嘗ていきものだったものたちが振動する。
刹那、
その死んでいたはずの植物や動物の一部が、
彼らの体温を取り戻す。



「スーホの白い馬」は
私の大好きな絵本だった。
あれは正しく、
一頭の馬が楽器となって、
不滅の魂となるお話。






音楽は生命の逆行。
昔、そこにあったいのちを
呼び戻している。



だから人は音楽で涙を流す事がある。
嘗てそこにあったいのちを
肌で聴く時に。
凡そ世界にあるものの日常、
音楽だけが、この生死の不可逆性を
逆行している。


自己に内臓する楽器、
声。


普段、視覚情報7割で世界を認知している人間。
目が見えなくても「あのひと」と、分かる声。

里を離れて、友達や家族とチャットで連絡できる現代。なのに、電話をしたくなる時がある。
「声が聞きたくなったから」



誰かが亡くなって哀しいのは、
もうその人の瞳を覗き込んでお話ができないから。
そう思っていた。そうだけど。

あなたの声がもう聴こえない。
あなたの持つ魂が、二度と振動しないから。
あなたの声が私の鼓膜を振動させない。
私にいのちを与えない。


私は合成音声にくっつかないセロテープみたいな違和感を持っていた。
恐らくそういうこと。
魂がそこにないのに、物理的な振動のみ存在する。空っぽの実存。





楽器は、
いきものの魂がやってくる道に開かれた門。
楽器は、参道の鳥居。

その門があるから、ここが道だと分かる。
その先に、
みんな知ってて誰も知らない、はじまりの場所がある。



私がオーケストラ編成が好きな理由。
「いきものだったものたち」が静かに
最も集まる場所で、
命の揺籠だからかもしれない。

開演
コンサートホールの静寂。
一滴の音が世界を押し咲く。
いのちの逆風に私の肌は、ほどける。


この曲を作曲した人はもういない。
嘗て演奏した多くの人も、もういない。
そして今演奏する人も、いなくなる。
聴いてる私も。

でも今この瞬間、
嘗ていきものだったもの「楽器」、
その振動を通して全てが息を吹き返す。
そしてそれは後の世にも、起こり続ける。


クラシック音楽が何故なくならないのか。
いのちの揺籠を通して、
魂のリレーを聴いているのかもしれない。
涙を落とした時、人はこの終わりなきリレーに巻き込まれる。

いきもののふるさとへの道。




私の魂はどこから来たのだろう。
お囃子が耳の奥で私を、呼んでいる。

分からないけど、
声なら、
演歌が無くならない理由も、そんな気がする。

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ヨーロッパで生きていて、自国文化を説明できないと、恥ずかしく思います。
私はどこから来たのでしょう。

「あなたはクラシック音楽が好きだと言うけれど、
あなたの国の音楽はどんなものなの?」
「あなたの国にはどんな楽器があるの?どんな歌があるの?」

ちゃんと説明できるようにしておきます。


今日もお読みいただきありがとうございました🌸
またお会いしたく思います🍀



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