不登校、インターネットに入り浸る

自己紹介エントリーの”いままでやってきたこと”の順に沿って記事を書いていきます。


自己紹介エントリー

通っていた学校

私の通っていた中学校は地元の進学校(らしい)でした。
そんなところに私が入学する理由は家庭環境のハンデがあったとしても、自分で生きて行けるようにしてやりたいという親心があったのかもしれません。

不登校に

進学校だったが故に大学教授の家などの教育者の家庭。地元でも長者番付(当時はあった)にのるような経営一族の家庭。地元の名士の家庭。病院のオーナーの家庭。など。

私の家庭とは全く毛並み(これは私の主観)が違う家庭が多く。子供ながらに格差を感じていました。

当時はそんな言葉はありませんでしたが、”スクールカースト” が形成されていて。
格差の可視化も相まった形で集団が形成されていました。

受験のプレッシャーによる競争のはじまり

その頃は3年後にはくる高校受験を各家庭が控えており、当然。前述の毛並みが違う家庭の子たちは受験を主軸にした生活をおこなっていました。

私はおばあちゃんに買ってもらったボロボロのパソコンを分解したり組み立てたり。チューニングしたりしている毎日でした。

中学校2年生の夏休みまでは楽しかったと思います。
夏休み明けてからがちょっと様子がおかしくなってきました。

受験の競争によるプレッシャーのせいなのか、お互いの潰し合いが始まりました。

思春期の子らの残酷さというものは今になってもたまに思い出して胸が痛くなるようなトラウマがあります。

  1. 文化祭のもようし物でバレーのコーチ席の背が高い椅子の上でぶたのマネをさせらたり。(当時、豚キムチラーメンのCM で豚キム豚キム! って叫ぶCMがあったそれ)

  2. 小学校の合宿の時にトイレに行かせてもらえずに粗相した時のことをあの時はー と新しい友達と話しているときにわざわざ毎回言ってくる子がいたり。

  3. 登校できずに散々悩んで登校した家庭科の調理実習で”楽しい時だけくるよね”言ってくる子がいたり。

  4. パソコンばっかりやってても将来の役に立たないから勉強しろと教員に言われたり。

最後に私の机の上に置いていたカバンの中にAVのチラシを誰かに入れられて。
登校できずに散々悩んで遅刻した時に囲まれていじられた時にもう行くのをやめました。

おばあちゃんに”学校行かんのか。” と、起こされた時に “もういいよ。” と返答したところ、普段は無理にでも行かせるのに。 “そうか。もういいか。” と言ってたのは忘れられません。

インターネットに入り浸る

当時、インターネットでは似たような境遇で学校に行けない子や、ちょっとやんちゃな子が夜な夜なチャットルームに集っていました。

そこでみんなでずっと話をしたり、各地で起きていること。すでに働いている子やITのことが自分より詳しい子の話を聞いたり。

いろんな仲間と時間を気にせず過ごすことで、だんだん自分がいる大分県が世界から見たら名前も知られていないような田舎で、そこの小さいコミュニティの中でつまらんことで潰しあってるだけの世界だったことに思えてきました。
でも、各地でそういうつまらんことは起きていることも知りました。

また、(その学校で)同じような潰し合いで学校に行けなくなった子は私だけじゃなかったようで。
学校に行かないという共通点を持った子と一緒に平日の街や港で釣りをしたりして、他の子とは違う中学生生活を過ごしていました。

将来の不安を抱えながらも、家に帰ればおじいちゃんとはおばあちゃんが居る幸せな生活でした。

それでもあいつらはやってきた

自分なりに新しい居場所ができて。家で過ごす日々が当たり前になってきた頃。
学校に通えている同級生たちが訪ねてくることが増えました。

最初の頃は気にしてくれてるのかなと無邪気に喜んだんですが。
学校に来てみてくれ1日でもいいからと懇願してくるんです。複数人。別日で。

いかないよ。 なんで行かないといけないの?  進路とかも自分で考えるし。 
-> お前が俺のおかげで登校したと言えれば推薦の内申が上がるかもしれないんだよ。
-> どうせ毎日夏休みみたいなもんだから来てもいいだろ。

なんて残酷なことするんだろう。 と子供ながらにひいた印象がありました。

こいつらと同じところにいたらダメだと強く感じ、本当の友達にリアルで会いに行こうと決意した。
世の中がミレニアムムードになりかけている頃のおはなし。

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