不幸であることによって「特別」であろうとし、不幸であるという一点において、人の上に立とうとします。
人は無意識のうちに「特別でありたい」という願望を持っています。それは、自分の存在を認めてもらいたい、価値ある人間だと思われたいという自然な欲求です。しかし、努力や能力によって「特別」になれないと感じたとき、一部の人は「不幸であること」によって特別になろうとします。自分がどれほど苦しんでいるか、どれほどつらい人生を送っているかを強調することで、他者からの同情や注目を集め、結果として「自分は特別な存在だ」と感じようとするのです。
これは、自分を不幸な状態に固定し、成長や変化を拒む原因になります。なぜなら、「不幸でいること」がその人のアイデンティティになってしまうからです。もし、その人が自分の不幸を乗り越えてしまえば、「特別」でいる理由を失ってしまうため、無意識のうちに「不幸であり続けよう」とするのです。
なぜ「不幸であろうとする」のか?
人は社会の中で生きる生き物です。誰かに認められたい、価値を感じたい、特別な存在でありたいという欲求は、誰にでもあります。しかし、努力して何かを成し遂げるのではなく、「不幸であること」によって特別になろうとすると、周囲の人との関係が歪んでいきます。
例えば、「私はこんなにつらい思いをしているのだから、もっと大切にされるべきだ」「私のほうがあなたより苦労しているのだから、私を優先するべきだ」といった態度を取るようになります。これによって、最初は周囲の人も同情し、優しく接してくれるかもしれません。しかし、やがてその人の「不幸アピール」に疲れ、距離を置くようになってしまいます。結果として、「私はこんなに不幸なのに、誰も助けてくれない」とさらに被害者意識を強める悪循環に陥ってしまうのです。
負傷したスポーツ選手
あるスポーツ選手が、大会前にケガをしてしまいました。最初は周囲の人も「大変だったね」「無理しないでね」と気遣ってくれます。しかし、その選手がいつまでも「このケガのせいで私は不幸だ」「だから特別扱いされるべきだ」と言い続けていたらどうなるでしょうか?周囲の人は次第に「もういい加減にしてほしい」と感じ、距離を取るようになります。
一方、同じケガをしても、「確かに大変だけど、今できることを頑張ろう」と前向きに努力する人は、周囲の人から応援され、サポートを受けながら回復していきます。つまり、「不幸」を特別視してしまうと、かえって孤立し、幸せから遠ざかってしまうのです。
まとめ
「不幸であること」を理由に特別な存在であろうとするのは、結果的に自分自身を苦しめることになります。本当に特別な存在になるためには、不幸を強調するのではなく、困難な状況の中でも前に進もうとする姿勢を持つことが大切です。
もし、自分が「不幸であること」を強調していると感じたら、「では、私はこれからどうしたいのか?」「不幸ではなく、どうすれば成長できるのか?」と考えてみてください。特別な存在であるために「不幸」でいる必要はありません。「幸せになる努力をすること」こそが、本当の意味で特別な生き方なのです。
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