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歌舞伎町に「自由に撮って」と書いた写ルンですを放置してみた

どうも写ルンです放置おじさんです。
2024年夏から始まった写ルンです放置。
少しずつ「写ルンです放置」という実験の知名度も増え、反応をもらえるようになった。

そんな数多くの反応の中で一番多かったのが
「歌舞伎町でやってほしい」
というコメントだった。

正直、私は歌舞伎町でやるつもりは全くなかった。
今までの鴨川デルタや学生時代の思い入れのある大阪、原宿などとは訳が違う。
私は歌舞伎町の人間ではないし、赤の他人がズケズケと踏み込んではいけない境界があると思っていた。
他者を知ることと、他者に踏み入ることは、似ているようでまったく違う。

写真を関係の場へ

ただ、写ルンです放置を続けている中で、一貫して私が持ち続けている想いがある。

写真を個人の表現から、街と他者に分配すること。「見せる写真」から「関係性の写真」へと移行すること。

歌舞伎町は私の住む世界ではない。だが、歌舞伎町にもそこに暮らす人々の営みがある。歌舞伎町で仕事をする人々や歌舞伎町で遊ぶ人々。それぞれの人生があり、それぞれの想いがあるのだ。
だから、そんな人生が交差する瞬間を、写ルンです放置で可視化することは大きな意義があるのではないだろうか。

それは赤の他人である写ルンです放置おじさんが介入するわけではない。写ルンです放置とは、どのように撮影するか、なにを撮影するか、一切指定しない。

写ルンですを放置すると、カメラは私の視線を離れ、この街の誰かの手へ渡る。そこで写されるのは、私が期待した歌舞伎町ではなく、その人が生きている歌舞伎町である。

だから置こうと決めた。

いざ歌舞伎町へ

2月21日、正午。
新宿東口着。
※そもそもこの記事の公開が4ヶ月以上経った6月というのは目を瞑ってもらいたい

土曜日の新宿はまだ正午だというのにごった返していた。
歌舞伎町とはいえ、どこに置くか悩んだ。
道端に置いておけばゴミとして片付けられるかもしれない。むしろ踏まれて故障するかもしれない。
そして歌舞伎町の中の中まで入り込むのは忍びない。

だから入り口付近に絞り込む。
そしてぴったりの場所を見つけた。

歌舞伎町から靖国通りを挟んだ向かい側。地下街に続く入り口である。この靖国通りを超えた交差点の先にはドン・キホーテがあり、歌舞伎町セントラルロードへと続く。

新宿駅東口から歌舞伎町方面へと向かう際に必ず通る場所。
かつ、信号待ちで人々が立ち止まり、写ルンですを見つけてもらいやすい。あくまで街の主役ではなく、ひっそりと写ルンですが佇むように。

ホストなのかアイドルなのかわからないがアクリルキーホルダーが寂しそうに放置されていたので、隣に写ルンですを置く。

この大都会新宿に意図的に写ルンですが放置されたのは世界初だろう。写ルンです自体も、まさか新宿に放置されるとは思っていないはず。

ごめんな、写ルンです。必ず俺がお前を。

待っていてくれ。

歌舞伎町と僕と時々おかん

少しばかり歌舞伎町を散策する。
歌舞伎町を歩きながら、はじめて歌舞伎町に来た日のことを思い出した。

私がはじめて歌舞伎町に来たのは17歳の高校3年の頃だった。母親から「東京に用事に行くけど一緒にいく?」と提案され、東京への憧れがあった私は、母親と一緒に東京へ向かったのだった。

どうやら東京の新宿という街がヤバいらしい。京都出身の私は「眠らない街・歌舞伎町」というワードに強く惹かれて、新宿の歌舞伎町に行ってみたいと母親に頼んだのだ。

夕方ごろに母親と2人で歌舞伎町のど真ん中を歩く。
歩きはじめて早々、黒い服を着た男が擦り寄ってこう言った。

「お兄さん、おっぱいどう??」

知らなかった。京都の高校生は大人の世界があることを知らなかったのだ。眠らない街という意味もよくわかっていなかった。

なぜか母親に申し訳ない気持ちになって「もう帰ろっか」と言って京都へ帰ったのだった。

そんな苦い記憶を思い出しながら、私は歌舞伎町を一周し、紀伊國屋書店などを梯子して時間を潰した。

写ルンですは無事か

16時30分
そろそろ撮影され切っているだろうかと写ルンですを放置した場所へ向かう。
少々、時間を空けすぎた。写ルンですは無事なのか急に怖くなった。

新宿駅東口から靖国通りへと向かう。
写ルンです、お前はまだそこにいるか。


すまない、写ルンです

ない。

写ルンですがない。
そして写ルンですの代わりに飲みかけのコーヒーのゴミが置かれていた。

辺りを見渡すが、どこにもない。

過去3回の紛失事件の苦い記憶が頭を駆け巡った。

嗚呼、歌舞伎町はダメだったか。
受け入れてくれなかったか。
街が悪いのではない。
私の行動に対する街の応答がこうだった、ただそれだけのことなのだ。


しかし、私は諦めていなかった。
私は今まで3度、写ルンですの紛失を経験している。
それでも尚、懲りずに写ルンですを放置し続け、自らのことを「写ルンです放置おじさん」などと呼んでいる。
一時期は無職で働きもせずに写ルンですを放置する、どうしようもない人間なのだ。

そんな私がここで諦めるわけにはいかない。

もしかしたら、その場で撮るのではなく、歌舞伎町方面に持っていって撮っている人がいるかもしれない。
ただ、お腹が空いた。寒い。早く家に帰りたい。

だから、歌舞伎町へ、探しに行く。

執念おじさん爆誕

設置した場所を離れて、歌舞伎町へ。
信号待ちをしている間も写ルンですを手に持つ人がいないかを確認する。

人多すぎやろ!!!!!
むりむりむりむりかたつむりよ。
そもそもまだ2月だ。
多くの人が手をポケットに入れており、手元がわからない。

もうこれは無理かもな。
そう思いつつ、一応歌舞伎町内を散策する。
盗難され質屋に入れられたが、一円にもならずその辺にポイ捨てされている可能性もある。

歌舞伎町広すぎ。

歌舞伎町とはいえ、かなり入り組んでおり、ましてや夜、人通りも多い中で、たった一台の写ルンですを見つけ出すのは至難の業だろう。

16時半に紛失を確認してから1時間半が経過した。
その間も、「もしかしたら行き違いでもとあった場所に帰ってきているかも」という希望を元に何度か戻ったりしたが、帰ってくる気配はなかった。

救われるだろうか。

18時。
諦めかけたその時、私はあることを思いついた。

私が正午に設置したのは、靖国通り沿いの地下街に降りる階段の入り口だ。
靖国通り沿いには、同じく地下街に降りる入り口がかなりの数、存在する。

靖国通り沿いの地下出入り口

見知らぬ誰かが写ルンですを手に取った。
その場で撮るのではなく、少し離れた場所まで写真を撮りに行った。
返すときに、誤って違う地下入り口に戻した…。

こういうストーリーがあるかもしれない。

そして、その推理は完全に合っていた。

ただいま、写ルンです

靖国通り沿い、8番出口に写ルンですはあった。
距離で言えば、数十メートル。

交差点を挟んだ向かい側の出入り口に放置されていた。
灯台下暗しとはまさにこのこと。

寒かったよな。寂しかったよな。
ごめんよ写ルンです。
もう君を離したりしない。
次回、下北沢に放置するんですけどね

ポケットに写ルンですを仕舞い、体温で温める。
新宿の街を駆け抜けて帰路に着いた。

もちろん今回もカメラのキタムラである

ただまあ、なんというか。
毎回毎回、自ら不安な気持ちになりにいく私もどうかと思う。
しかし、写ルンです放置でしか得られないナニかがあるのだ。
誰かとこの思いを共有できなくてもいい。
ただ、私は写ルンです放置で生きる希望を得ている。それだけの話だ。

なにが記録されていたのか

数時間後、写ルンですの現像が終了した。
写真を受け取り、見る前に深呼吸をした。

新宿。

コンクリートジャングルのど真ん中。

果たして。


嗚呼、新宿。

新宿は私の問いかけに答えてくれた。
上京したあの日。中央線から見える新宿の風景が灰色に見えた。
本当に車窓から見える景色が灰色だったのだ。

ただ、上京して10年近く経った今、写ルンです越しの新宿は鮮やかなカラーだった。

こんなコンクリートジャングルにもちゃんと人は生きている。
殺風景だと思っていたのは、私の心の中の新宿だった。
新宿にもちゃんと生きた風景があるのだ。

そして写ルンですは、旅をしていた。


間違いなく、放置した場所から移動している。
やはり、私の推理は正しかった。

悪意があって、誤った場所に放置されていたのではない。
移動した後、元の位置がわからなくなり、あそこに置かれていたのだ。

新宿は暖かかった。


写ルンです放置は、私の意図は介在しない。
「自由に撮ってください」と書かれたメモが添えられただけ。
なにをどのように撮ってもOK。
そして誤って破損したり、持ち帰ったり、盗まれてもいい。

もとあった場所に戻される、もしくは持ち去られる。
全て正しい答えなのだ。

だから、今まで戻ってこなかった2台の写ルンですは、性善説の否定なんかではない。私の問いかけに対する、その日、その瞬間の街の答えなのだ。


それでもやっぱり、写ルンですを無事に回収し、写真を見た時の感動は筆舌し難い。
感動なのだ。

年齢、性別、国籍、思想を飛び越えて、写ルンですは人から人へと旅をし、私の手元に帰ってくる。

なんて美しい物語なのだろうか。

新宿は暖かかった。

もちろん、新宿が急に優しい街になったわけではない。
優しい人だけが暮らしている街でもない。
ただ私は、新宿をあの日の記憶のまま見ていた。

写ルンですは、誰かの善意を証明するための装置ではない。
エモい写真を残すための装置でもない。

私自身の思い込みを、一枚ずつ現像していく装置なのかもしれない。

次はどの街へ放置しようか。
まだ知らない誰かの人生を、誰かと街の関係を見るために。

ほな!


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