【未完了の愛着欲求】もう叶わない「愛」への気持ちはどう扱うべきか
私の知人で、世間一般的に「毒親育ち」と呼ばれる人がいます。
具体的な詳細までは分からないのですが、私が知っているのは、
ずっと親、特に母親に愛され、認められたかったこと
そのうち母親が認知症になり、正常な意思の疎通自体が難しくなってしまったこと
母親に対する元々の愛憎混じった気持ちと、介護の辛さも相まって、「早く死んでほしい」とまで思ってしまったこと
結局、心が通じ合わないまま、母親が亡くなってしまったこと
といったことです。
現在、知人には愛するパートナーと子どもがいて、傍目から見ると何不自由なく暮らしています。
しかし、心の中は常に嵐のようです。
心にある一番強い感情は、やはり母親から認められたい、愛されたい、という気持ちと、でも母親がもうこの世にいないので、絶対に叶わない、という絶望のような気がします。
配偶者や子どもからの真っ直ぐな愛を受けても、埋めることができないんだな、と見ていて苦しくなります。
このように「もう絶対に叶わない願望」や「切望して得られない愛」に対して、人はどのように向き合うべきなのでしょうか。
知人のケースは、心理学でいう「未完了の愛着欲求」に近い状態だと思います。
親からの承認や愛情を求める気持ちは、子どもにとって生存に直結するほど重要な欲求なので、途中で断たれると、時間が経っても消えません。
しかも今回は、相手が認知症→死去という流れで、「修復の機会そのもの」が完全に失われています。
これはかなり厳しい条件だと思います。
しかし、それでも人は回復していきます。
■「別の誰かで埋める」は基本的に失敗する
配偶者や子から愛されても埋まらない、というのはむしろ自然です。
なぜなら、その欲求は「母親という特定の相手との関係性」に紐づいているからです。
ここでよくある誤解は
「今ある愛に目を向ければいい」
というものですが、それは「別の棚にあるもの」なので、同じ穴は埋まりません。
■回復の鍵は「関係を終わらせないこと」
少し逆説的ですが、相手が亡くなっても、心理的な関係は終わらせなくていいです。
むしろ有効なのは
心の中で母親と対話する
手紙を書く(返事は来ない前提で)
「本当はこう言ってほしかった」という言葉を自分で言語化する
こういう行為です。
これは空想ではなく、グリーフケア(喪失のケア)やトラウマ治療でも実際に使われる方法で、「未完了のやり取りを完了させる」ためのものです。
■ 「欲しかったもの」を具体化する
「愛されたかった」「認められたかった」という言葉は抽象的ですが、回復にはもう一段具体化が必要です。
どんな場面で、どんな言葉を言ってほしかったのか
どんな態度をとってほしかったのか
どんな自分を見てほしかったのか
ここを細かく分解していくと、実は「欲しかった体験」が見えてきます。
その一部は、今からでも別の形で得ることができます。
ただしそれは「代替」ではなく、「自分で再構築する体験」です。
■「自分で自分を愛する」は半分正しく、半分不十分
よく言われる言葉ですが、このケースではこれだけだと足りません。
なぜなら、この人が求めているのは
「自分が自分を認めること」ではなく、「他者(母)に認められること」だからです。
ただし完全に無意味ではなく、正確に言うと「自分が自分の“味方になる”力を育てる」ことは回復に寄与します。
これは「親の代わりになる」のではなく「親から得られなかった安全基地を自分の中に作る」イメージです。
■本当の変化は「悲しみを持ったまま生きられるようになること」
ここが一番現実的で、かつ厳しいポイントです。
この種の願望は、完全に消えることはあまりありません。
ただし、
思い出すたびに崩れる状態
→思い出すと痛むけれど、生活は続けられる状態
には変わっていきます。
つまり「解決」ではなく「統合」です。
これは「どうすれば救われるか」というより、
「救われきらない部分を抱えながら、どう生きられるか」
という問いに近いです。
ただ、その状態でも人はちゃんと幸せを感じられるようになります。
それは「穴が埋まる」という形ではなく、穴がある前提で、別の領域に豊かさが育つ、といった形なのではないでしょうか。
