不思議な話 その1
7月20日だったと思うが、夕方スーパーへ買い物に行った帰りに斜向かいの家に寄った。
奥さんに用があったのだが、ご主人がいた。
「奥さん、いる?」と訊くと「いるよ」と言う返事。
声を聞きつけた奥さんがクッションを持って玄関に出てくると、私にクッションを勧めてくれた。
玄関の板の間に座るとお尻が痛くなるからだが、奥さんが出て来るとき、ドアの隙間から、ダイニングキッチンの椅子に小学1〜2年の男の子が座っているのが見えた。
お孫さんが遊びに来ているのかなと思ったが、奥さんに話したいことがあったので話しているうちに、子供のことを訊くのを忘れてしまった。
かれこれ10年ほど前、斜向かいのお宅にお孫さんが来て、玄関の前にビニールプールを出して水遊びしているのをよく見た。
私がベランダで洗濯物を干していると、下で可愛い声がする。
覗くと、お孫さんが来ているのだった。
女の子で、幼稚園に行っているくらいの歳だった。
「じいじ、じいじ」と呼んでいる声が聞こえることもあった。
あるときベランダから見下ろすと、斜向かいの奥さんと一緒にいたので、声を掛けて名前を聞いた。
奥さんに促されて可愛い声で返事をしたが、自分が訊いたくせに名前を忘れてしまった。
あの子ももう中学生になっているだろうし、お孫さんたちはみんな大きくなっているだろう。
他にあんな小さな孫がいたのは知らなかった。
半月ほど経って、朝ゴミ出しに行って戻ってくると、斜向かいのご主人が玄関先に並べた鉢植えに水をやっていたので、いつものように足を止めてちょっと立ち話をした。
そのとき、ふとこの間見た子供のことを思い出したので、
「この前、お孫さんが泊まりに来ていたの?」
と訊くと、
「いや、ここしばらく来てないね」
という返事。
「あら、この間の夕方寄ったときチラッと見えたのよ。夏休みになったから泊まりに来ているのかと思った。あんな小さなお孫さんがまだいたのね」
「隣の子供じゃないの?」
「隣の子供がお宅に来るの?」
「いや、隣の家に行ったとか」
「隣の家には行ったことないわ」
隣は去年引っ越してきた若い夫婦で、子供が二人。上の男の子はまだ2歳ぐらいだ。
私が見たのはその子よりもっと大きく、小学校の低学年に見えた。
変だと思ったが、そのときは朝の支度があるので、そのまま帰った。
それから10日ほどして斜向かいの奥さんと話しているとき、ふと思い出して訊いてみた。
「そう言えば、この前、お孫さん来てなかった?」
「主人もそう言っていたけど、来てないのよ」
「小学校1、2年の男の子がいたんだけど、お宅のお孫さんはもっと大きくなっているから、あんな小さな子がまだいたのかと思って」
「男の子だった?」
「うん。椅子に座ってこっち見てた」
私は確かに見たのに、孫は来ていないと言う。
変な話だ。
「世の中には変なことがあるものよね」
「あるわね」
どちらともなくそう言った。
「私、今までに何度か変なことがあったの」
そう言って、昔起きた不思議なことを話し始めた。
あれはまだ川崎の家に住んでいて、猫をたくさん飼っていた頃のことだ。
うちは居間と玄関の間は短い廊下になっていて、居間にはドアが付いているが、冬寒いとき以外はいつも開けっ放しにしていた。
猫たちは外に行きたければ自分で玄関の引き戸を開けて出て行き、帰ってくると戸の反対側を開けて入ってくるので、朝起きると玄関の戸が両側10センチぐらいずつ開いていたものだ。
冬は居間と廊下の境のドアを閉めているので、ドアの並びにある居間の掃き出しのガラス戸の外で、開けてくれと鳴いた。
まるで人間は猫たちのドアマンになっているようなものだった。
あるとき、雪が降った後で寒い日だったが、飼い猫のアメが外から帰ってきて、ガラス戸の外で開けてくれと鳴いた。
私はちょうど居間とひと続きになったキッチンの流しで洗い物をしているところで、手が泡だらけだったから、後ろを振り返って「アメちゃん、ちょっと待っててね」と声を掛け、そのまま洗い物を続けた。
ほんの数分だったが、洗い物を終えてガラス戸を開けようと振り返ったら、居間のストーブの前にアメがいた。
ストーブの前には他にも数匹猫がいて、みんな丸くなって寝ていた。
私は一瞬、我が目を疑った。
ガラス戸は閉まっているし、廊下に出るドアも閉まっている。
母は透析で留守だったし、弟は2階の自分の部屋にいて、階段を降りてくる足音はしなかったし、居間に入ってくる戸も開かなければ、ガラス戸を開ける音も聞こえなかった。
アメは一体どこから入ってきたのか、暖かいストーブの前でくつろいでいた。
まるで外から家の中にワープしてきたみたいだった。
話を聞いていた斜向かいの奥さんは、「私もあるのよ」と言った。
それを話してくれるのかと思ったら、「あるんだけど、ちょっと思い出せない」なんて言って話してくれなかった。
そのうちまた会ったら思い出したか訊いてみよう。
実は、もう一つある。
あれは私が脳腫瘍の手術をした翌年のこと。
英会話スクールをやめることにして、プライベートレッスンを受けたいという生徒だけになったので、その子たちが通える場所でもっと狭いところに引っ越した。
昼間はプロバイダーの接続サポートの仕事に行き、夕方早く帰るので、布団を敷いて横になり、一眠りしてから起きて生徒が来たら教えていた。
まだ体力がないので、ずっと起きていることはできなかったからだ。
その日もいつものように、帰ってくると布団を敷いて横になった。
足元にはガラス扉のはまった大きな本箱が置いてあり、左隣に引き出しのついた小さな整理ダンスが置いてあった。
その上には猫の形の時計と、明美さんからいただいたラベンダーを吊るしてあった。
この時計は誕生日に従妹のめぐみがくれたもので、猫の尻尾がダラリと垂れていた。
尻尾は飾りで、後ろ側についているフックに引っ掛けてある。
手で動かすと横に揺れ動くが、ゆらゆら揺れて徐々に揺れ幅が小さくなり、1分かそこらで止まってしまう。
私が布団に寝て何気なく足元の猫の時計を見ると、猫の尻尾がゆらゆら揺れていた。
「あれ? なんで揺れているんだろう」
私は寝ているから尻尾を押していない。
ひとりでに尻尾が揺れることはあり得ないから、左側にあるエアコンの風が尻尾に当たっているのだろうか。
エアコンの風は猫の尻尾を動かすほど強いのか。
それとも、隣の部屋の人か上の人が何か振動するようなことをしたのかもしれない。
私はいろいろ理由を考えたが、疲れて眠いので、そのまま眠ってしまった。
猫の尻尾は少なくとも私が眠りにつくまでの数分間は動いていた。
1時間ほどして目が覚めると、猫の尻尾は止まっていた。
翌日もまた同じことが起きた。
不思議なので今度は起きて、尻尾を調べに行った。
エアコンの風は吹いているが、尻尾を動かすほど強くはなかった。
隣の部屋も上の部屋も人がいるのかいないのか、しんと静まり返っていた。
私は時計を外して裏側を調べてみた。
尻尾はフックに引っ掛けてあり、フックは左右に動くようになっていたが、電池で動くように線が繋がっているわけではなかった。
尻尾が動いたのはこの2日間だけで、それ以前もそれ以後も動かなかった。
尻尾が動く理由がわからなかった。
何者かが私にメッセージを送っていたのだろうか。そうだとすれば、一体誰が?
この話を斜向かいの奥さんにしたら、「あなた、霊感があるでしょ」と言われた。
いや、私は霊感など全くない。
続く
