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煩悩を斬る―気づき(サティ)は見張り智慧(パンニャー)は刃 ルアンプー・プラモート師

気づき(サティ)は 「いま、何かが起きた」と、すかさず知るもの
智慧(パンニャー)は それを断ち斬る役目です

智慧は刃物のよう 斬り落とすはたらきをします

気づきは見張り番のよう 何が通り過ぎていくかを、じっと見ている

智慧は、武器を構えた者のよう 敵が来れば、撃ち落とすのです

たとえば―― 重い病に苦しんでいるとき

私たちは、あれこれ気にかけます

子や孫を案じ 飼い犬を、飼い猫を案じる

もし気づき(サティ)があって 「心が、いま案じている」と、すかさず知れたら

―― その「案じる心」は

あるときは瞋(いか)り

いや――愛(いと)しさ

執(しが)みつきから案じるなら

それは貪(むさぼ)り(ローバ)

もし、それに気づけなければ 心は曇ってしまい

瞋りが忍び込むのです

そして貪りは、思うように応えられないと くるりと瞋りへ裏返るのです

気づきが、知る―― 「ああ、いま自分は、猫のこと、犬のことを案じている」と すると、智慧が生まれます

「案じても、もう何の助けにもならない できるかぎり、世話はしてきた

今はもう、世話をしてやれない

生きとし生けるものは、それぞれに、自分の業を負っている」

―― こう見きわめていく これを、智慧がある、というのです

智慧は「その案じる心」を断ち斬ります

智慧のはたらきは、断ち斬ること

その性質は武器のよう――鋭いのです 智慧は煩悩を斬る

ですから、煩悩を斬れるのは 気づき(サティ)ではなく、定(サマーディ)でもなく 智慧(パンニャー)――煩悩を斬るのは、これなのです

そして、もっと微細な煩悩となれば

出世間(しゅっせけん)の智慧(ロークッタラ・パンニャー)が要ります

聖道(アリヤ・マッガ)のその一瞬に生じる智慧

 それでこそ、煩悩を、根こそぎ、永く洗い去れるのです

五戒をたもち いつも気づきをもって、自分の心を見まもる

心が楽なら、そうと知り、苦なら、そうと知る

善ければ知り、悪しければ知る

ただ、知るだけ――

割って入って、手を出さなくていい

ただ知っていれば、あとは智慧が、みずから始末してくれます

瞋りが起きても 気づきがあって、そうと知る

智慧が十分なら、智慧がその瞋りを、すぱりと斬り落とす

煩悩を断ち斬ってしまえる

あらゆる愛しさ・執みつきを、斬る

悪いものへの執着は言うまでもなく

善いものへの執着でさえ、

やはり、わずらいの種なのです


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ばいたらよう(貝多羅葉) 貴重なお布施ありがとうございます!