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心の苦は思考から生じる ルアンプー・プラモート師

心に生じる苦(ドゥッカ)の本当の姿とは

ルアンポーが観る限りそれは

思考のみから生じているのです

心の苦(ドゥッカ)とは思考からのみ生じているのです

それは最後の段階を除いてという事です

最後の段階とは

心(チッター)は苦(ドゥッカ)である

ということです

しかしまだ最後の段階で無いのならば

苦は考えることを原因として生じているのです

その事を考えて苦しみ

あの事を考えて悲しみ

あの事を考えていじけたり

怒ったり

欲しがったり

それらすべては思考の後に生じているのです

考える事をマーナ(悪魔)と言い

アビサンカラマーナと呼びます

煩悩がその後ろにある為に

アビサンカラマーナは働く事ができます

カンダマーン(人が苦しみから逃れることを妨げる障害である5つの集合(色、感覚、知覚、心の形成、および意識)は僧侶の道具ではありません

悪魔の道具なのです

煩悩に流されて仕事をするのです

ですから

少しづつ訓練するのです

私達の心を観察するのです

ルアンポーがかつて出会ったお坊様先生方に

ルアンポー・カセーム・ケーマコー師がいました

師は

”善き思考は心を冷静にし

考えなければ涼しく安楽である”

と教えられました

善き思考は心を冷静にするとは

私達がプラス思考で考える時には

心は冷静になり

マイナス思考で考える時には

心は落ち着きなく暑くなるのです

私達は思考次第なのです

”考えなければ安楽である”とは涅槃の事です

涼しく滅しているのです

暑さが滅しているのです

考えないとは

どう考えればそうなるのでしょうか

それは

自分が考えるという事から離れる事です

自分のもの

自分が

とならないのです

考えないということは

自分のもの自分が、と考えないことです

人が考えるでもなく

私が考えるでもなく

彼が考えるでも無いのです

思考が働いている

思考が働いていると観えること

考えなければ安楽である

とは考えないという事ではありません

心には考えるという働きがあります

しかし

その思考が私の考えとはならないのです

その様に観えるならば

涼しく安楽なのです

”善き思考は心を冷静にし

考えなければ涼しく安楽である”

ですから私達の思考は最も悪いものなのです

私達が独りでいる時

昔の人は良い言葉で教えたのでした

独りでいる時には思考に注意しなければいけない

友といる時には話す言葉に注意しなければならない

ですから

私達は自分の思考に気づく事に間に合わなければなりません

コロナが生じたことに怒っている

それは

悪い道なのです

その様に思ったところでコロナはなくならないのですから

ただの無知で

苦を享受しているだけなのです

ですから

私達が思考する時には

煩悩と渇愛(タンハー)の力で思考させてはいけないのです

原因と結果に従って思考するのです

サティ(感覚があること)とサマーディ(集中)をもって思考するのです

仏暦2564年8月14日


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ばいたらよう(貝多羅葉) 貴重なお布施ありがとうございます!