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終活で、誰も教えてくれないこと ― タイ仏教からみる「最期の心の在り方」

「終活」という言葉が広まって、もう15年。書店には何百冊もの終活本が並びます。けれど何冊か読んでみて気づいたのは、その中身がほとんど遺産の手続き断捨離――つまり「物をどう手放すか」に集約されていることでした。

一方で、統計は静かな事実を突きつけます。日本では毎年およそ160万人が亡くなり、多くの人が思い描く「老衰」で逝けるのは、わずか12%。6割は病気で亡くなります。そして亡くなる前、男性で平均8.5年、女性で11.6年ほど、要介護や寝たきりに近い時間が続くといわれます。

つまり私たちの多くは、晩年の8〜10年を病とともに過ごし、病で最期を迎える可能性が高い。私自身いま47歳ですが、統計に照らせば、健康な身体でいられるのはあと25年ほどです。

ブッダのパーリ経典に、常習省察経(毎日くりかえし観るべき教え)があります。

年老いることは当然のこと。老いを逃れることはできません。 病気になることは当然のこと。病を逃れることはできません。 死ぬことは当然のこと。死を逃れることはできません。

では ―― 寝たきりの晩年の10年、あるいは死の瞬間を、私たちはどんな心で過ごせばよいのか。終活本が触れない、この「心の在り方」こそ、日本人の多くが病に直面して初めてぶつかる、未知の領域なのではないでしょうか。

気づき(サティ)の訓練をしている仏教徒は、病の間であれ死の瞬間であれ、「気づきをもって観る」ことが正しい心の置き方だと学びます。けれど、心を育てる修習(バワナー)は、心身が元気なうちでなければ難しい。時間と忍耐がいるからです。海で溺れてから泳ぎ方を学ぼうとしても、もう間に合いません。老・病・死が待ち構えているとわかっているなら、気づきの実践は、いま始めるしかないのです。

今日の一歩 終活を「物の片づけ」で終わらせないために。今日、ほんの数分でも、呼吸に気づきを向けてみてください。それが、最期の日への、いちばん確かな備えになります。

全文では、善き死をめぐるタナチャイ(プイ)師の法話、晩年のアチャン・チャー師とお弟子シリプンニョー師、そして亡くなる5分前にメモを遺されたカムキエン師の姿にも触れています。

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ばいたらよう(貝多羅葉) 貴重なお布施ありがとうございます!