見出し画像

#2 きっかけは母の死 その1

 2018年6月、実家から何度も着信履歴がありました。
 そのころ私は、パートでコンビニの仕事をしていて、着信に気づいたのは退勤後。
 母は自宅で意識がなくなり、救急搬送されたとのことでした。
 最後の着信の留守電には、病院で亡くなったとのメッセージも入っていました。
 母は数年前から膝が痛いとか時々寝込むことがあるというくらいの体調不良はあると聞いていたぐらいで、救急搬送され亡くなるなんて、全く予想もしていませんでした。
 子供たちの下校を待ち、主人にもメールで連絡し、子供たちを連れて病院へ向かいました。

母と対面

 母は救急の処置室の寝台で横になっていました。
 医師から死亡証明書の説明を受けるまでの間、子供たちと一緒に対面しながら、父や妹から母の近況や救急搬送の様子を聞きました。兄も自転車で駆けつけていました。
 医師からの説明は父と私で受けました。苦しむ間もなく亡くなったのでは、と聞かされて救われる思いでした。
 その後、母の体の処置をするため「浴衣」を購入するように言われ、妹と浴衣の自動販売機へ向かいました。
 妹はついてくるばかりで行動しません…違和感を感じつつ、看護師を待たせているからと思い急いで私が財布を出し浴衣を購入し、看護師へ手渡し処置をお願いしました。
 母の処置が終わると遺体を安置する部屋へ移動。記憶が定かではありませんが、「○○時までに遺体を運び出すように」という指示がありました。葬儀屋等、依頼する業者に困っているなら病院から紹介もできる、ということも言われました。
 父がバイトで付き合いのある葬儀社があるというので父から名前を聞き出し、スマホで検索して葬儀社を特定し、私が電話をかけ、担当者が出たら父に代わり、とりあえず母を病院から自宅へ運んでもらう手配ができました。
 母の迎えの車を待つ間に、自転車で来ている兄を自宅へ戻し鍵を開けて待機するように指示。葬儀社の方に引き継いだ後、父は母と同じ車で、妹はスクーターで来ているとのこと、私は子供たちと自車で実家へ向かうことになりました。
 病院で父や妹から聞く近況に経済困窮を感じつつ、実家の中の散らかり具合や、葬儀の段取りなどこれからのことで頭がフル回転でした。母が亡くなった悲しみよりも、自分がやるべきこととそのための段取りを考えてしまいました。

母が自宅へ戻る

母が自宅へ運ばれた様子は見ることができませんでした。私が実家に到着した時には、母は居間で布団に安置されていました。その日はドライアイスが置かれ、祭壇も用意され、その横で葬儀社の方との打ち合わせをしました。

葬儀社の方から、どのような形で葬儀をするかをまず聞かれました。
私には葬儀の知識は全くなく、簡単に葬儀の形式と予算を説明され、やはり高額な費用がかかると感じました。
まだこの時点では、実家の家計がかなり困窮していることは知らず、父が喪主になるので、打ち合わせに同席しているだけのつもりでした。
父が「お金がない」と言い出し、兄や妹に費用を出せるか聞いても出せないと言い…金銭的な問題から、火葬だけ行うという形で母を見送ることにし、費用はとりあえず私が出すことになりました。
葬儀社の方は気を使って「家族葬」という言葉で打ち合わせを進めてくださいましたが、直葬という形式の葬儀でした。

棺や納棺時の花、役所への届出等の手続き、火葬場の手配や日取り、それまでの遺体の安置、祭壇など、説明を受け、どれも費用を最小限にできるものを選びました。

遺影の写真を決めるように言われました。母は写真嫌いでもともと写真が少なく、さらにここ数年は生活の余裕がなく外出などの機会もなかったので、実家では遺影に使える写真がありませんでした。
あわてて夫に連絡をし、自宅にあるアルバムから写真を探してもらいました。
それは次男を出産した産院に、預けていた長男を連れて面会に来た時に、長男が母にカメラを向けて撮影したものでした。
当時2歳でママと離れて生活して不憫な孫を溺愛していた母は、「写真撮らないで」と孫には言えなかったようで、照れたような笑顔でカメラに収まっていました。
父や妹に相談してこの写真を遺影にすることにし、翌日持参することを葬儀社の方に伝えました。

この時点で夜になっていたので、葬儀社の方を見送った後私も息子を連れて自宅へ戻りました。打ち合わせの合間に職場へ連絡し1週間の休みをもらったり、夫へ状況報告や子供たちと学校との連絡について相談しました。
父や兄・妹は親戚へ電話連絡をし、葬儀は家族だけですることを伝えました。親戚は遠方にいて高齢ということもあり、何年もたまに電話で話す程度の付き合いだったので、母のことを知ってみんな驚いていたそうです。
父・兄・妹のそれぞれの職場にも連絡をするように伝えました。

翌日に納棺師の女性二人が来て、母をきれいにして白装束を着せてくださいました。宗教を聞かれましたがお墓を持っているわけでもなく、父の実家の宗派を聞いても父は分からないとのことで、特にないと伝えました。納棺もいろいろと決まりがあることを教えてくださいました。
終わった後に2000円を茶封筒に入れ気持ちとしてお渡ししました。

葬儀社の方も役所への届出代行を進めてくださり、火葬場や日取りも翌々日になったと聞きました。火葬場で部屋を予約するか聞かれましたが、部屋でなくても待機する場所があるとのことで、費用を抑えるため、部屋の使用はなしにしました。

葬儀の準備

通夜や告別式はしませんが、火葬場へ行く際に普段着というわけにはいきません。
喪服の準備も、母がいないとできない様子だったので、大慌てで3人分の喪服を実家の洋服ダンスから探し出しました。
妹は30代になってから女性として生活し始めたので女性用の喪服がなく、私の喪服を貸し出すことにしました。
妹は私より身長が高いのですが、困窮状態でかなり痩せていたので、私の服でもなんとかなりそうでした。

実家の家は店舗部分と住居部分の出入り口が狭く段差も大きく、手すりを兼ねた家具も近くにある状態だったので、軽く片付けをしました。
また愛犬はその出入り口部分で過ごしていましたが、抜け毛の掃除ができてなく、埃もにおいもひどい状態だったので、換気をして掃除もしました。
明日の火葬の後、食事ができそうな店をネット検索し、電話をかけて予約を取りました。
外食は贅沢だと思ったのですが、通夜も告別式もできないので、家族だけで形だけでも一緒に食事をすることで気持ちの区切りがしやすいと思いました。
また実家では夫や子供たちがにおいや汚れを気にして落ち着けないのではないか、買っている犬や猫が夫や子供たちを見て落ち着けないことも不安でしたので、思い切って店の予約をしました。

この日は夕方に自宅へ戻りました。子供たちはこの日それぞれ高校・中学に投稿した際に祖母が亡くなったこと・葬儀を明日にするので欠席することを連絡しました。

母の火葬

火葬当日は日差しの強い天気の良い日でした。
私はひとまず実家に向かい、父・兄・妹の身支度を手伝いながら、葬儀社の方が来るのを待ちました。
兄は髭のそり残しや鼻毛が目立ち、しっかり鏡を見てやり直すように言いましたが、自分ではできませんでした。とりあえず服装だけは整えて、出発の時間になってしまいました。

火葬場まで父は母の遺体とともに、私は実家で兄・妹を載せて車で、夫は子供たちを連れて車で向かい合流しました。
火葬場の駐車場で葬儀社の方が出迎えてくれ、建物内のロビーで待機するように言われました。ロビーの椅子に父が一人で座っていました。
夫や子供たちとも合流した後、父を夫たちに任せ、兄をトイレに連れていきひげや鼻毛の手入れをしました。
火葬場の窓口で「使用料」を支払うように言われ、私が支払いをしました。
時間になると火葬炉の前室のようなところに呼ばれ、母の棺に花を入れ、最後のお別れをする時間がありました。司会を葬儀社の方がしてくださり、10分弱の簡単なセレモニーと言った雰囲気でした。
終わるとロビーで待機するように言われ、しばらく後、火葬炉の前に呼ばれ、母の名前の読み上げと点火開始が告げられ、またロビーで待機することになりました。
待機中、父は涙ながらに母に苦労をかけたと話をしますが、兄・妹はただただ座っているだけ。自販機で子供たちに飲み物を買ってくるようにお金を渡し、全員分の飲み物を用意していると葬儀社の方が来て、火葬後の会食や納骨のことなど形ばかりに心配する声をかけてくださいました。
火葬が終わると骨上げを全員で行いました。火葬場の職員の方から説明を受けひととおり骨上げをした後またロビーで待機するように言われました。
しばらく後、ロビーまで火葬場の職員と葬儀社の方が母の遺影と遺骨を持ってきてくださり、火葬は終了となりました。
この時に、葬儀社への支払いをしたと思います。

  
火葬場を後にして予約したそば店に移動し会食をして、夫や子供たちはここで解散にしました。
個室で、母の遺影と遺骨とともに、実家の家族と私の家族が顔を合わせるのは数年ぶりなので、形式ばらずただただ話をしてお開きにしました。
父・兄・妹にとっては外食も数年ぶりだったと思います。
会食の費用も私が負担しました。

私は父・兄・妹と一緒に実家へ戻り、母の遺影と遺骨を祭壇に並べ、喪服の片づけや、これからやるべきことを簡単に相談したり、しばらく過ごしてから自宅へ戻りました。

#実家 #家族 #火葬 #直葬 #家計 #生活保護 #無年金 #高齢者 #障がい #境界知能 #性同一性障害  


いいなと思ったら応援しよう!

あんころりん28 よろしければ応援お願いします!