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私のしごとヒストリー

関東在住の50代既婚女性の職歴をまとめます!
需要はないでしょうが、よかったらお読みください(笑)。


実家住まい時代①

私の実家は、1970年代に父が開店した酒を扱う個人商店でした。
南向きにある出入口から見た店内は、壁面の棚に日本酒の一升瓶が並び、
店先にはアイスの冷凍ケース、自動販売機、週刊誌や漫画の販売ラック。
店に入ってすぐ右側にレジカウンター、その前に量り売りのみそ、
店の中央の陳列棚には駄菓子や調味料・乾物などの常温食品、
入って左側には牛乳や瓶ビールの冷蔵ケース。
店の外には郵便ポストがありました。
私の母校である小学校の名札や、郵便切手・はがきの販売、
クロネコヤマトの宅急便の取次なども行い、
生活に必要なものを販売する地域の商店でした。

小学生になると、
私は生まれたばかりの妹(弟として生まれてきました)の子守りを始めます。
常連客から小銭を渡されたばこを買いに行くおつかいを頼まれたり、
母がトイレに行く間の店番をすることもありました。
市場へ菓子の仕入れに行く父について行ったり、
自動販売機や店内の陳列棚に商品補充をしたり、
つり銭の小銭のカウントしたり、伝票にゴム印を押したり…
簡単にできる作業は良く手伝っていました。
母が接客で忙しいと食事が作れずよく空腹でいたので、
母に教わりながら調理もするようになりました。
母とスーパーへ買い物に行くこともあれば、一人でお使いに行くことも。
風呂の用意も洗濯もやっていました。
気まぐれにやっていることも多く、とてもいい子とは言えませんが、
スイッチが入れば家事や店の仕事を手伝うことは好きでした。
手伝うと店で売っているお菓子やジュース、お小遣いをもらえるので、
それを先に母に交渉してから手伝うこともありました。

実家住まい時代②高校時代

初めてのアルバイトは、
近所にあったショッピングセンターのテナントのファミレスのキッチン。
マニュアルを見ながら鶏のから揚げの仕込みをしたりパフェを作ったことを覚えています。
年末年始は郵便局年賀状の仕分けを2年連続でやりました。

大学時代

県外の福祉系を学ぶ大学に進学し、ひとり暮らしをしていました。
学内の掲示板でアルバイトを探しました。

・学童保育
自転車で20分ほどのところにある小学校の隣の学童保育の補助の仕事です。
放課後、一緒に遊んだり宿題をやって保護者の迎えを待つ子供たちと過ごす仕事です。水が張った田んぼに入ってしまったボールを、子供たちの代わりに泥だらけになって取りに行ったのはいい思い出です(笑)。

・交通量調査
同級生に誘われ人数合わせで1日だけ参加しました。
車を持っていたことも誘われた理由のようで、
調査場所まで友人をのせて移動しました。
車種ごとに”トラフィックカウンターを使ってカウントする仕事です。
それまであまり話したことがなかった同級生と丸1日一緒に過ごし、
たわいもない話をしながらゆるゆると仕事をしました。

・早朝コンビニ
車で隣町のコンビニまで1年ほど通いました。有料トンネルを超えたところにあるので大学の友人が客としてこないだろうという理由で選びました。
6:00ー9:00の早朝シフトでひたすらレジ業務、
トラックドライバーが主な利用客でした。
コンビを組む夜勤の社員さんは固定で、安心して仕事ができました。
有料道路の料金がもったいないので、迂回ルートを使っていました。

・資格取得(社会福祉士)
福祉系の大学で、在学中に資格取得ができました。
ひたすら書いて覚えるやり方でなんとか合格。
所属していたゼミの教授から卒業後に、
後輩に資格試験の勉強方法やコツを話す講師として声がかかり、
最初で最後の講師体験をしました。
ど緊張でほぼ記憶はありません(笑)。

就職

大学がある県で
知的障害者の方の入所施設(定員50名)の生活支援員として就職。
早番・日勤・遅番・夜勤のシフトで、入居者の方の生活を支える仕事です。
食事や入浴介助、日中活動や夜間の見守りなどのほか、
外出や通院同行、イベント運営なども経験しました。
当時の私の周辺では福祉業界の就活というものはなく、
実習先や教授から入社を勧められ、
採用試験を受け入社が決まっていました。
社会人として辞令交付式や懇親会なども初体験。
トップと管理職と理事、正職員とパート、実習生、入居者の家族、
事務員や調理員、地域の住民や企業・団体など、
組織の内外に様々な立場があり運営されていることも実感しました。
入社した時にはなかったグループホームや就労事業所・相談事業が
立ち上がる光景も見ることができました。
この施設は担当入居者と個別に外出することも奨励されていて、
ひとりの入居者と、その方が好きな電車に乗り好きな場所へ出かけるプランを相談して実現できたことがとても思い出深いです。
ご家族とも接し、家庭ごとに入居者への思いが違いがあることも
知りました。

結婚後①

授かり婚で退職し実家のある県へ転居しました。
実家の家族に育児協力は頼めず、夫も仕事でほぼ家に居ないので
ワンオペ育児・家事をこなしながら少しでも自分の自由になるお金を作りたいと思い、できることをやっていました。

・ヤフオク
自分の私物やベビー服・おもちゃなど不要になったものを出品しました。
時間があるからできていたなと思います。
あまり利益は出ませんでしたが、インターネット利用の勉強になりました。

・資格取得(ホームヘルパー)
長男を一時的に預ける制度があることを知り試しに利用してみたところ、
継続できそうな利用料金・預け先でした。
子どもが小さく仕事探しができない今のうちにできることはないかと考え、一時保育を利用しながらホームヘルパー2級の資格取得を目指すことに。
すでに取得した社会福祉士は国家資格ですが、持っているからといって
パートの職探しには役に立たなそうという印象でした。
ヘルパー資格があれば、高齢化社会で求人は無くならず
どこかで働くことはできるだろうと安易に考え、選びました。
数回の講習受講日には、
一般家庭で研修を受けた方に子供を預かってもらう制度を利用。
高齢者家庭や老人ホームでの実習時には保育園での一時預かりを利用。
無事に資格取得ができました。

・役所で嘱託職員
夫の職場からの勧めで、
隣町の役所の福祉課で事務としてパート勤務をしました。
当時は障害福祉の大きな制度変更があり、
新制度に移行する中で発生する業務の補助をする仕事でした。
窓口に来た住民や業者を最初に対応し、
用件を聞いて担当者を呼び出したり。
障害福祉サービス利用者がいる自宅や施設へ出向き聞き取り調査をしたり。
県や圏域で行われる会議に参加したり。
大学で学んだ制度とは大きく変わりましたが、
行政の立場から障害福祉の実際を体感できました。
子どもは公立保育園の一時保育利用から正式利用になり、
入園式や季節の行事参加も経験。
保育園の送迎や、子供の体調不良で園から電話が入り仕事を早退したり
出勤前に仕事の休みを願い出たりと、
子育てと仕事と家事の両立の大変さも実感しました。

結婚後②

・内職
次男を妊娠しつわりがひどく、役場のパートは退職しました。
次男を出産後、長男は幼稚園に入園。
次男は食は細いものの体は丈夫なほうでよく寝てくれる
穏やかな子だったので、
家でできる仕事ならできそうと考え
フリーペーパーで内職の仕事を見つけました。
プラスチック製の部品のバリ取りや検品をする仕事で、
自分の車で製品を取りに行き、作業後納品しました。
次男が一時保育を利用できるまでは車に乗せて一緒に納品に通いました。
慣れるまでは時間がかかるばかりでしたが、
続けていくと単価のいい仕事を回してもらえたり
まとまった量の仕事をもらって余裕のある納期にしてもらえたりと
子育てしながらなんとか5万円台の収入が毎月入るようになりました。
自分の収入で子供たちに外食や外出・旅行体験をさせることができました。
子どもたちに経験させるため、という理由で自分も気分転換ができたので、
内職を8年ほど続けました。

・コンビニ
長男は小学1年生、次男は年少で保育園入園直前の年度末、
内職ではなく家の外で短時間でも働きたいと思い立ち、
学生時代に経験のあるコンビニのパートに応募しました。
日中に子供が体調を崩し幼稚園や保育園から連絡が来ても
夫が迎えに行くことはできず、
私が対応しなければならないことはそれまでの経験で痛感していたので、
夜間のシフトで週1回程度、
曜日固定なら夫が帰宅後に子供たちを任せられると思い、
チャレンジしました。
家の外で働くのは約5年ぶり、
コンビニ経験としては約10年のブランクがあり、
仕事内容も社会人復帰としても苦戦しました。
週1回ということもありまだまだ研修中だった2か月後、
夫が救急搬送される事態になりその後療養のため入院・休職となったため、
コンビニパートはやむなく退職しました。
仕事を教えてくださっていた女性のパートの方は
私にはきつく指導してくださっていて、
短期間でやめる私のことはさらに印象を悪くしていると思っていたのですが
退職の挨拶をしたときに
「誰か相談できる人いるの?何かあったら話を聞くよ」
と優しい言葉をかけてくださいました。
その方もご家族のことで苦労されていると店長から聞いていて、
それでも仕事ではみじんも感じさせず働いている姿を見ていたので、
私も強くならなくては、もっとこの方と働きたかった、と思いつつ
感謝の気持ちを伝え店を後にしました。
数年後にこのコンビニは閉店してしまい、
その後店長やパートの女性にはお会いできずにいます。


結婚後③

その後も内職は続けていましたが、長男が小4・次男が小1の時に、
隣町にコンビニがオープンすると知り、応募しました。
経験のあるコンビニとは別のコンビニでした。
採用され研修や開店準備も経験。
近隣へのチラシ配布やオープンセレモニー参加など、
貴重な機会を体験しました。
オープン当初は週1回のシフトしか入れず、内職も継続。
オープニングスタッフが徐々に辞めていき、入れるシフトが増え、
4年後にはオーナーも代わり、
私はオープンから唯一残っているスタッフになっていました。
この頃に内職はやめました。

5年後には店でやる店長業務はほぼ全てできるようになり、
夜間のワンオペ勤務もできるようになっていました。
新オーナーになってからは店長として勤務。
パート採用のまま時給は上がったものの、
業務をこなすため時間外に店に行きシフトの後に残業しても
シフト分しか給料は出ません。
社用携帯を持たされ数字や業務の進捗報告、
次々と出される指示を受け対応。
お客様からのクレーム対応、警察を呼ぶ事態もありその度に対応。
コンビニ本部の研修や試験、エリア会議の参加。
オーナーが経営する他店の改装や人員不足時の店長業務代行にも
駆り出されました。

コンビニの仕事や店長業務は、大変でしたが楽しくて、
続けたい気持ちはありました。
ですが、
実家の家計困窮が深刻になったことや、
次男の受験・県外への引っ越し、県外に住む長男の病気発覚などで
コンビニの店長業務を続けながら家族のことを支援することは
とてもできそうになく、
拘束時間が長く休みも取れない状態が続いていて
自分の体調もメンタルも限界に近くなっていたので、
思い切って退職することにしました。

店長業務をパートでやるには、給料も少なく、責任も重すぎました。

オーナー交代と同時に業態変更、店内の改装、セルフレジへの変更、
店内調理など新たな業務の導入、
人手不足や人件費削減のため日中もワンオペシフトを導入、
外国人スタッフの採用、コロナ禍といった大きな変化がありました。

退職を決めた時、
「家庭と仕事が両立できる状況ならもっとこの仕事を続けたかった」
「仕事量に見合った給料が出ず拘束時間が長い
 ブラックな状態から脱出できてほっとした」
という気持ちが混ざった複雑な心境だったことを思い出します。

店長業務と言っても、あくまでも店舗での業務だけなので
経営面のことはよくわからないままでしたが、
コンビニ業務を幅広く知り経験することができたことは
感謝しています。

結婚後④

コンビニのパート店長を実家の支援や子供たちの変化に寄り添うため
退職し、1年弱は無職の状態でした。
その間に少しでも収入を得ようとやったことはポイ活です。
アンケートに答えるともらえるポイントをためて現金化できる
アンケートサイトを3つ登録し、コツコツとポイントを貯めました。
次の仕事を始めるまでにこれらのアンケートサイトで得た収入は
約20000円。
また、一つのアンケートサイトをきっかけに登録した
治験ボランティアのサイトでコロナワクチンの治験に参加し、
協力費として70000円(交通費込み)。

実家へ頻繁に通ったり、
当時四国地方に住む長男や県外へ受験や
転居をする次男の元へ移動する交通費だけでもかなりの金額が必要で、
貯金を減らす一方でしたが、
少しでも収入が得られ、
今まで知らなかった世界を垣間見ることができました。

結婚後⑤←イマココ

実家の家族への支援が一区切りとなった2023年11月に、
自宅の近くにある障害者グループホーム(以下GHと書きます)の世話人の求人を見つけ応募し、
12月から夜勤専従の世話人として入職しました。

夜勤なので体力的にはきついと思いましたが、
自宅から徒歩でも通えるほど近く通勤時間が短くできること、
拘束時間が長いですが1回の勤務での給料が高いこと、
勤務時間が一定で残業がないこと、
基本的にワンオペ業務なので職場の人間関係に悩まないこと
が魅力に感じました。

実家の家族への支援は当分の間続けなければならないことや
飼っている猫たちの通院の時間も確保したいと思い、
日中に自由に動ける時間ができるよう夜勤の仕事を選びました。

週2回のシフトで体調を崩すこともなく世話人を続けられています。
父の住む老人ホームへの毎月の面会・通院同行や入退院の付き添い、
兄の住むGHへ毎月小遣いなどを届ける、
妹の金銭管理や相談同行なども継続できています。

<番外編>ミステリーショッパー

世話人の仕事を始めてからもアンケートサイトでのポイ活は
細々と続けています。
その中で店舗での覆面調査の募集があり、
応募してみたところ採用されました。

ミステリーショッパーによる調査は、
コンビニのパート店長時代に調査を受ける側として経験しました。
当時のオーナーはこの調査を重要視していて、
高評価を得るためにあらゆる対応をするよう指示があり、
かなりのプレッシャーを感じながら勤務したことが思い出されます。

私が覆面調査員として訪問したのはとあるチェーン店のドラッグストア。
事前に資料を読みこみ、オンラインテストを受け、
当日は指定された箇所の店内外のチェックや、店員への質問に対する対応や会計時の店員の様子を見る調査を指定時間内に行い、
調査後のレポートを期日内に所定の書式にまとめ提出しました。
この時の報酬は1店あたり・交通費や商品購入代を含め1500円。
正直に言って、業務量に対して報酬は低いと感じましたが、
覆面調査という未知の仕事を経験でき、ワクワクしました。

私が訪れた店舗は、
コンビニのパート店長時代に私が必死に対策した点は全く対策しているように感じられず、低い評価でレポートを提出しました。
私が勤めていたコンビニなら許されないレベル(汗)。
店舗のジャンルや業態やオーナーが違うと、
覆面調査への意識も違うのでしょうか。
覆面調査実施が店舗に全く知らされていないのかもしれません。

覆面調査を実施する側、受ける側、両方を体験できたのは、
私には貴重な経験となりました。
でも、
報酬金額が見合わないようだったら、もうやりたくありません(笑)。

おわりに~最近の私のしごと

実は、
現在は勤務する障害者GHでサービス管理責任者(以下サビ管と書きます)のOJT期間中で、
週2回の夜勤の他に週1日の日勤でも勤務しています。

サビ管やOJTについては今回は説明を省きますが、
社会福祉士の資格を持っていることや
かなり昔ですが入所施設での勤務経験があること、
所属するGHでの勤務態度を認めてもらえたことから
サビ管の資格取得を勧められ、チャレンジすることにしました。

実家の家族への支援は今後も続くので、毎日の勤務は難しく、
パートのまま資格取得やサビ管としての勤務を目指します。

50代の挑戦、記憶力も体力も自信はありませんが(汗)。
夜勤の世話人とは違うかたちで入居者の方の支援ができ、
GH以外の支援者にも会うことができ、
今までとは違う仕事内容を経験させてもらっています。

所属するGHとは別のGHへ行って面談や通院同行や買い物支援、
入居者の就労先での会議参加、
いくつもの書類作成、オンライン会議参加などなど…
あらかじめ想定されている業務のほか、
突発的に起きる入居者のトラブルや体調不良の対応、
職員の休みや入退職への対応などもあり、
予定外に出勤したり夜勤明けに残業することも増えました。

初めて会う方、初めていく場所、初めてする業務が重なり
この2か月ほどは特に疲れを感じます。

なんとかサビ管の資格を取得し、
なるべく長く仕事を続けて老後の生活を安心して送れるように、
適度に休みながら過ごそうと思います。

noteで父・兄・妹の様子を記事にしたことで
病気や障害をお持ちの当事者の方、ご家族の支援をする方、
介護や福祉に携わる方など、
たくさんのお仲間とつながることができてうれしく思います!
私の記事投稿はなかなかできませんが、
ぜひこれからもお付き合いいただければと思います。



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