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#3 きっかけは母の死 その2

母の遺骨が自宅へ戻る

この後、数名の近所の方が母の訃報を聞いて線香をあげに来てくださいました。実家はもともと酒を扱う商店をしていて、閉業してからも母はクリーニングの取次店をしていたので、近所の方が利用してくださって、世間話をするような間柄の方がいたようです。
葬儀をしないので、実家の中で対応することになります。
父・兄・妹の普段の食事さえ満足に用意できない状況の中、しまってある急須などを取り出し、茶葉やお菓子を私が用意したりお供えとしていただいたものを出して対応しました。
父は足腰が弱くなり気落ちもしていて、男性ということもありお茶を入れるのはできません。兄はそもそもお茶を出すという考えになりません、線香をあげるという行為もおそらく意味が理解できていません。
妹は母の手伝いをしていたので弔問客とも顔なじみがあり対応することになるのですが、お茶出しの経験がなかったようです。
妹が対応するときにお茶を出していなかったと聞いてとても驚きました。
私が居合わせた時にやって見せて、お茶を入れたりお菓子を出すこと、座布団を勧めることなどを教えました。

ご霊前はお断りしますとお伝えしても、お返しは不要としてお気持ちをいただくことも多かったです。
親戚からも、これまでのお付き合いに合わせて香典やお供えをいただきました。
「このお金で、お返しの品やお墓の準備をするからね」
「誰からいくらいただいたのか、きちんと記録しておいてね」
と父・兄・妹に伝え、管理も任せました。

母の親族との会食

父母ともに同じ地域出身で、実家からは遠いので電話のやりとりだけで母のことを報告していましたが、
母の母は健在で、兄弟も交流が続いていたので、やはり母のもとへ行って線香をあげてやりたい、と言われました。
お墓もなく四十九日や納骨式などの予定もなく、何より来てもらっても満足にもてなす余裕はなかったですが、母の家族の気持ちを思うと断れず、日取りの相談を電話ですることになりました。

このやりとりは一応父がした方がいいだろう、親族と話をすることで父の気持ちも落ち着くだろうと思い、父に電話で話をしてもらいました。
涙ながらに母の最期や近況を話す父を見て、安心していました。
この日の電話では、親族で日取りを相談してまた電話をかけてくれることになった、ということで終わりました。

別の日に、すっかり親族と電話をするのが日課になった父は、また電話で話をしていました。相手は母の母のようです。
電話を切った後、「今日みんな来るって、用意よろしく」ということを言い出しました。この時はもう昼近い時間になっていました。
私も妹も「ええ?!」と慌てました。今日来るなんて話は聞いていませんでしたし、日帰りをするのはギリギリ難しい距離に父母の故郷があるので、
「これから向こうを出発するの?」
「それとももう向かってきてるの?」
「どうやってくるの?」「何人来るって?」
などなど父を問い詰めますが、細かい話は何一つ答えられません。

妹が父の電話をリダイヤルしてかけなおすと、「近いうちに親族みんなで、バスを借りて日帰りで行く」と話をしたことがわかりました。
父は当時70代後半、母の母は90代、高齢者同士の会話のせいか、父の聴力がかなり下がっているのか…とにかく真相がわかりました。
この1件があり、日時の相談は妹を通してもらうように伝えました。
翌月に、母の母・兄弟とその配偶者の計6人が日帰りで、運転手付きマイクロバスで実家へ来てくれることになりました。
当日は実家で、スーパーで注文した仕出し弁当やオードブルを用意して、会食をしながら数十年ぶりに対面したお互いの近況をゆっくりと話すいい機会になりました。
この時の費用も私が負担しました。

香典の管理と香典返し

いただいた香典の記録を父・兄・妹に言っておきましたが、数日後に確認すると、父・兄・妹それぞれが記録をし、母の祭壇に供えていることがわかりました。
とりあえずは漏れの無いように記録されていればいいと思い、現金を出しっぱなしにしないよう、自営業時代から実家にある金庫へしまうように伝えました。
母の供養や戒名を依頼する余裕もなく、法要は関係ないのですが、
四十九日の日をめどに、香典返しの準備をしました。

香典の金額の半分を目安にスーパーのギフトで選び注文しました。
合計15軒ほど、住所がわからないが家の場所は分かるご近所の方やクリーニングの利用客の方にお渡しするので配送は依頼しませんでした。
香典返しに、私が自宅で作成したお礼状を添えました。
親族への香典返しは、珍しくておいしいものをと思い、私の夫の付き合いのある業者へ依頼(豆腐のセット)しました。
香典返しの費用は、実家で保管している母への香典から出しました。

いただいた香典から香典返しを用意し、余ったお金はお墓の準備や今後の生活のために、と父・兄・妹に伝えました。
秋ごろには賀状欠礼のはがきを出すことで、年賀状のやりとりだけ続いていた母の友人に知らせることにしました。
葬儀社の方も数回実家に来てくださり、近隣の永代供養のお墓のパンフレットを置いていきました。

香典の使い込み発覚

母が亡くなった後、母の銀行口座や保険の手続きがあるだろうと思い、父や妹に確認すると、保険はすべて解約し、口座は一つだけになっているとのこと。
母の遺族年金の手続きの書類も届きました。
各手続きに必要となる戸籍謄本の取り寄せや、ほかに手続きに必要なものが何か銀行に問い合わせるように妹に指示しました。

すっかり日常生活に戻って1か月ほど後、妹に手続きの進捗状況を聞くとはっきりしない答えが返ってきます。
各手続きは配偶者である父が行うのが最優先で、父ができない場合委任状が必要だったり、相続人であることの証明が必要になることや、
そもそも印鑑がたくさんありすぎて、どれが届出印なのか分からない、どこにあるのかわからない、
問い合わせの電話の時点から、相続人であることの確認をされたり、書類の郵送による確認の工程が必要だったりで、
時間がかかっているようでした。

遺族年金の手続きには、私が父をつれて年金事務所へ行き、手続きを済ませました。しかしもらえるのは月2500円ほどでした。
ついでに父の方も確認してくださいましたが、やはり未加入であることがはっきりしただけでした。

父は足腰弱く歩くのもやっと、老眼で耳も遠く、家のことは何もしない。
兄は(当時は障害の診断はついていませんが)こだわりが強くマイペースで自分のことしかできない。
妹にかなりの負担がかかっていたと思いますが、妹しか難しい手続きはできませんでした。
ですが、のちに妹も境界知能であることが判明します。この時すでに借金があり債務整理していることものちに判明します。

母のクリーニング店の収入がなくなったので実家の経済状況は苦しくなりました。
加えて、父はアルバイトの帰りに転倒して怪我・退職になりました。
家にいるストレスで兄におつかいや世話を頼み、折り合いが悪くなりました。
兄は父や妹から頼まれるおつかい=買い物や公共料金の支払いのために持ち出したキャッシュカードを常に持ち歩くようになり、自分のこだわりのものを買うようになりました。
高齢になった父に配慮した対応ができませんし、家計という意識ややりくりの必要性がわかりません。
妹は、もともとやっていたアルバイトから帰宅した後、数時間ですが母のクリーニング店を引き継ぎ、営業を続けていました。
疲れとストレスで、生活が荒れ、浪費がやめられませんでした。

やりくりすれば何とか生活できるだけの収入は、兄と妹だけでもあるはずでしたが…母の香典の残りをあてにして、すぐに使い切っていたことがのちに判明します。

私が支援を決意する決め手

母も含めて、実家の家族は片付けが苦手です。掃除も、見えるところ・ひどいところしかやりません。
クリーニング店をしているというのに、埃もにおいもひどいという状況でしたので、
母の死後の手続きが一段落した後も実家に通っていました。

実家の家族の保険はすべて解約したはず、と言っているのに、大量の保険証券が保管されていました。
解約したり口座に残金のない通帳も大量に。
印鑑も大量に。
請求書・督促状も大量に。
もう何年も手に取っていないアルバムや趣味のものも大量に。

一方で、換金できそうなものはなくなっていました。
お金に困って、兄が勝手に持ち出しては、リサイクルショップで買い取りしてもらっていたようです。
その明細書も保管されていて、確認すると、どれも数百円程度。
それを家計に入れずに、兄が使い込んでいました。

ガス料金の督促状が来て、兄が私に電話でお金がないと言ってきたこともありました。
父の体調不良で交通費や診療費がないと言ってきたこともありました。
こまごまと費用を負担し、私の負担が増えてきました。

・実家に通うだけでも負担なのに、実家の家計の支援が今後も続くのではないか?
・母が亡くなって、家族がバラバラで、協力してやりくりしようという姿勢が見られない
・このままでは借金を作ったり犯罪に巻き込まれるのではないか?または犯罪を犯すのではないか?

そんな不安な気持ちが頭をよぎるようになりました。
いずれ実家とは縁を切る状況になりかねないと思いました。
私には夫も子供もいます。
「犯罪者の親族」や「借金苦でひどい生活をしている親族がいる」という思いをさせたくない一心で、
私がここで根本的な解決に動かないといけない、と思いました。


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