【短編小説】森の君(きみ)
背、高いな。でもひょろっとした長身は案外威圧感がない。だからクラス分けの掲示板の前で立ってる彼を見て、声をかける気になった。
「産業情報学科の人?」
驚いた様子で、彼はこっちを振り返る。
「うん、そうだけど。そっちも?」
「うん。一緒に教室行かない? 俺、岡田太一」
「志田です。志田克樹」
とりあえずこれで、一人で教室に入ることは回避できた。
「南棟ってあれかな」
案内に従い、右前方にある校舎に向かう。名簿順に席に着くよう書かれた指示を見て探すと近くに着席してる人はまだいない。志田を見るとすでに後ろの席に座ってる天パの男と何か話してる。俺も混ぜてくれよ。鞄を置いて、二人に近づいて声をかけた。
「何、二人知り合い?」
「いや、今初めて会ったとこ」志田が天パを見る。
「名簿が前後ってだけ。僕、杉木だから」
自分のこと僕って言うのか、と思いながら俺も返す。
「俺は岡田。というか、俺も志田君とさっき会ったばっかりなんだけど」
「君とかいいよ、普通に志田で」
「じゃ俺も岡田で。えっと……」天パに視線を移すと、彼は言った。
「幼なじみにはまー君って呼ばれてるかな。僕、下の名前まさみだから。真実って書いてまさみ。最近は苗字呼びが多いけど」
「じゃ杉木で」
志田と声が重なり、顔を見合わせて笑う。そ、と呟いた杉木はちょっと不満げに見えたけど気にしない。ともあれ、これからの大学生活、一人は無事回避できそうでほっとする。
「あんたは変なとこ気にする。あんたのことなんて誰も見てないって」
実家でしょっちゅう母と姉から言われてたけど、気にならなくなるものなら俺だってそうしたい。でもやっぱり気になる。人にどう思われるのか。飲食店なんか一人で行こうものなら「友達いない寂しいやつと思われてるんじゃないか」という思いに苛まれいたたまれなくなる。誰も気にしてない、とも、思うけど。でもやっぱり誰かと一緒がいい。
だから森君の存在は衝撃的だった。世の中にはこんなに人の目を気にしない人がいるのかということに。
杉木の友達の森君は漫画やアニメという共通の趣味で仲良くなった仲間らしい。ある時、集まりに「今日は森君も連れてく」と言われた時には杉木と似たようなやつが来るんだろうと思っていた。でも違った。いや、違わないけど、違った。醸し出す雰囲気は確かに通じるものがある。けどまず、男だとばかり思っていた森君は、女だった。なぜ君呼び? どこで買うんだと思うような変な柄とか形の服に黒縁眼鏡。染めたことなさそうな髪の毛、前下がりのボブは昭和の香りがする。最初はその装いにぎょっとして、次に眼鏡の奥の長いまつ毛と切長の二重にドキッとする。少し明るい目の色。つまんだような鼻、人の鼻の穴の形が美しいと思ったのは初めてかもしれない。「こんな美人が何で」。一緒にいた志田を横目で見ても、特に何も感じてないように見える。この美貌に気づいていないのだろうか。普通にしてたら絶対モテるのに。もったいない。
初対面でそんな風に思ってしまった俺は、この時まだ自分の空っぽさに気づいていなかった。
四人で何度か会って森君に対する緊張も解けてきた頃。放課後の校内で呼び止められた。「あ、岡田君」。声をかけられたのが妙に嬉しくて、立ち話してたら前から思っていたことがつい口をついて出た。
「森君、もっと普通にしてたら絶対モテるのに」
「は?」
想像していた笑い顔ではなく、真顔で森君がこちらを睨む。俺、間違えた?
「普通って何?」森君の目が怖い。
「え、と、たとえば雑誌に載ってる感じのファッションとか」
「そういうの興味ないんだけど」
「でもそっちの方が絶対受けるって」
「誰に」
「え、一般的に、っていうか、多くの人に?」
はー、とため息が大きい。怖い。
「岡田はさ、自分を知りもしない誰かの、しかもそれが本当かどうかもわからない『こう思われてるかもしれない』が一番大事なわけ?」あ、呼び捨て。
「大事というか……気にはなる」
「自分の心がどうしたいかよりも?」
「えっ」
自分がどうしたい? 自分の心? そんなこと考えたこともなかった。そしてそれを考えたこともなかった自分に絶句した。確かに俺は、自分がどうしたいかよりも「人にどう思われてるか」を一番に考えていた。自動的に。
「つまんねー。私には関係ないけど」
不意に興味を失ったように森君は俺に背を向け正門に向かって歩き出す。
人のことばっか気にしてつまんない俺。痛い。痛いのは、森君が言ってることが多分真実だからだ。ふと、杉木の名前が真実と書いてまさみだったと思い出す。確かに脇目も降らず趣味に邁進する杉木の方がよっぽど、ちゃんと自分を生きてる気がする。俺はどうしたらいいんだろう。どうしたら人のことが気にならなくなる? その方法があるなら、今すぐ教えて欲しい。心がうろつく。
小さくなった森君の背中が見えなくなっても、俺はここから動けないままだ。
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