三十年後のプロポーズ
「おーい松本くん、台風はどがんやったね?山越えして帰ったんやろ?そがん時位は早めに切り上げんば運転出来んごつなっとじゃなかんね。たまには仕事は早よあがらんば!」
※訳(おーい松本くん、台風はどうだったね?山越えして帰ったんでしょ?そんな日くらいは早めに仕事を切り上げて帰らないと運転が出来なくなるよ。たまには仕事は早退しないと!)
という元気な声に振り向くと、それは大貫さんであった。
奥さんもご一緒である。
大貫さんは、私の大親友だ。
年齢は七十歳、色黒の彫りの深い顔立ちに筋肉質の引き締まった身体、キレイに染まった茶色の髪にマッチしているゴールドのネックレス。それにトレーニングウェアがトレードマークだ。
ランニング、マラソンが趣味で、もはやライフワークと言っても過言ではないだろう。町の小さなマラソン大会はもちろん、県の大きな大会やトライアスロンにも出場しているほどの熱の入れようで、それ以上に毎日のトレーニングを欠かさない。お店に来られるのはいつも練習の帰り道である。
熊本地方に接近しつつあった台風を心配し、片道一時間の山越えをして出勤している私の身を案じて声をかけて下さったようだ。
「なんとか暴風域は上の方に逸れたんでなんとか大丈夫でしたよ。やばい時はお店の駐車場で一泊する予定でした!」
と私が親指を立てると、
「車で寝泊まりするときはビール飲んで職質に合わんように、エンジンは切らなんよ!」
と大貫さんが笑う。
それを聞いた奥さんが、やれやれといった感じでお茶目な顔をする。
私と大貫さんご夫婦との出会いは、かれこれ十年程前にさかのぼる。
それはそれは、私はへこむくらいに怒られた。
私はあるドラッグストアに勤務している。
ちょうどお昼の休憩が終わるタイミングで、歯磨きをしていた。
スタッフに呼ばれたので、慌てて口周りをハンカチで拭き、白衣を羽織ってボタンを留めながら慌てて医薬品コーナーへと向かった。
腕を組み、顔を真っ赤にして仁王立ちしていたのが大貫さんであった。
私は事情も分からず、初対面であったので、「お待たせして申し訳ありません。何かありましたか?」と尋ねた。
「どうもこうもあるか?この店はお客を馬鹿にするのか?」
と、それはそれはすごい剣幕であった。
事の経緯はこうだ。
数日前、大貫さんご夫婦が私の勤めているドラッグストアで血圧計を購入された。奥さんの血圧を毎日二回計測する為に、お店でも一番高価なものを選んだそうだ。私はその日と翌日が連休で、店舗にはいなかった。
他の買い物と一緒に奥さんがレジで精算を済ませ、家に着いて早速使用を試みるが電源が一向に入らない。付属の電池を市販のものに交換しても、ケーブルに切り替えても全く反応がない。
翌朝お店に電話で問い合わせをすると、まだ担当の者が出勤しておらず分からないので、時間を置いて再度かけてもらえますか?とのこと。
お昼にもう一度電話を入れると、その日出勤していた新人の登録販売者がたまたま他の接客中で、大貫さんはまたまた要望を伝えることが出来なかったようだ。折り返しお店から電話があった際、商品の不良は取り扱い説明書に記載の電話番号に直接連絡を入れてやりとりしてほしいと簡単な言葉で対応されてしまい、ついには堪忍袋の尾がプツンと切れてしまったようだ。
私は深々と頭を下げ、謝罪をしたが、大貫さんはまだ言いたいことがあるようだった。
「何回連絡してもたらい回しにされてな、ここで高いお金出して買ったのにな、うちは電気屋じゃないから修理は出来ん!みたいな感じでサラッと言われたんや。家内が病気で血圧計は大事な日用品なんやぞ。それはまあ、あんた達には関係ないかも知れんが電話でもそうやし、今さっき来てレジの子に聞いたら、なんのことかもわかりません、なんて言うから、担当の人を呼んでくれって言うたらそのまま無視やぞ。おれもいろんなとこで買い物しとるがこんなに腹立ったのは初めてや!」
私は再度丁寧に謝罪をし、血圧計の箱に記載されているお客様相談センターへと連絡した。
お店と名前を告げ事情を話すと、着払いで商品を送ってもらえればすぐに点検し、不良品の場合は新品と交換をしてお客様の家に郵送します、との返答をもらった。
その旨を大貫さんご夫婦にも伝え、商品を預かり、再度、
「商品の件はもちろん、スタッフの対応についても不快な気持ちにさせてしまい申し訳ありません。早速夕礼、明日の朝礼でも皆に伝達し、本部にも連絡の上教育を徹底していきます。」
と頭を下げた。
ずっと黙っていた奥さんが、
「あんた、だから最初から保証書の番号に電話しようって言ったじゃない」
とため息まじりに言った。
「アホ、そんなん言うてるんと違う!ここで買ったんやからちゃんと責任持つのが筋やろ。丁寧にそう言ってもらえればおれだって最初からそうしてるわな。暇じゃないんやから。だいたいな、お前も買う時にもし故障したらどうすればいいのか、ちゃんと店員に聞いてればよかったんやぞ。」
ちょっとした夫婦喧嘩に発展しそうな勢いであったので、「これは私共のミスですから。何かあればこちらからまたすぐにご連絡差し上げますので」
と伝えると、大貫さんご夫婦はビールを買って帰られた。
数日後、うってかわって満面の笑顔で大貫さんがやって来た。
「おにいちゃん、えっときみは松本言うんか?松本くん、この前はえらい世話になったな。すぐに新品の血圧計送って来てな、ご丁寧な謝罪の電話と、手紙も同封されてた。あんたに相談してよかったわ。なんかあれやな、これにも家で結構怒られてな、あんなにお店で怒鳴らんでもいいじゃないかと。
済まんかったな」
そばで奥さんも小さく頭を下げてくださった。
「いえいえ、わざわざありがとうございます。こちらこそ不快な思いをさせてしまいまして。あれから上司にも報告をして、報連相の徹底と、自分がされて嬉しいと思う接客対応について、毎朝各礼でスタッフに伝えています」
「そっかそっか。ところで松本くんは店長じゃないの?キリッとした顔してるけど独身ね?」
「えっと、二人子供がいるんですけど、下の子が産まれてすぐに妻は病気で亡くなりました。父子家庭なもんでなかなか思うように出来ないこともありまして、まだまだ下っ端です」
と首をすぼめた。
「そんな事情があったんやな。すまんすまん。今日はなスポーツドリンクとこれや、ビール買いに来た!」
そう言うとニコッと笑いながらグラスでビールを飲む手振りをした。
大貫さん夫婦はそれからお店の常連さんとなり、いつも真っ先に医薬品コーナーを訪れて世間話をするようになった。そしてお互いの身の上話をしたり趣味の話で盛り上がったり、私はいつの間にか二人のことを
「おとうさん」
「おかあさん」
と呼ぶようになった。
「あら、おかあさんひとり?今日はおとうさんは?」
「今日はあたしが運転。おとうさん、寿司食べたいって言うから結局飲むでしょ?案の定車の中でいびきかいてる」
こんな感じである。
二人とは本当に長い付き合いだ。
二人の子供達にと、いちご、みかん、スイカ、甘夏、枇杷、柿など親戚が農家らしくいろんな果物をお店に持って来てくれる。
そしておかあさんはバレンタインデーには必ずチョコを持参し、
「これチビちゃん達に食べさせてね」
と出会った年からずっと渡してくれる。
私も三月にはおかあさんの好きなお菓子と、おとうさんの大好物のビールをお返ししている。
ある日の出来事だ。
「あら珍しい。おとうさんひとり?」
といつものノリで聞くと少し顔が落ち込んでいる。
「おかあさんな、脳梗塞で倒れてな。今入院してる。幸い命に別状はないらしいんやけど、ちょっと心配でな。おれも身の回りのこと、全部任せっきりやったからあたふたしてるんや。」
私も突然のことでびっくりし、なんて声をかけていいのか分からず黙っていると、「なん、そんな心配せんでいい。手術も成功したんやから安心してくれな。着替えとか、日用品なんかもここには売ってるかな?」
それから数ヶ月後、おとうさんとおかあさんがお店にやって来た。
おかあさんの顔を久しぶりに見た時、私は目頭が熱くなり、言葉がまた出てこなくて、だからおかあさんの手を握った。
温かく、優しい温もりのある、おかあさんの手だった。
おかあさんは歩く時にまだ少し支えがいるようで、前みたく会話は出来ないようだったが、その代わり前以上に笑顔を作ってくれた。
「これからはほら、こいつももう働けないし、年金だけでは心細いからおれもアルバイトしようと思ってるんよ。だからビールも安いやつに変えたんやけど、発泡酒ってのも結構美味しいな。一日に飲む本数を減らして、その分筋トレして頑張ろう思うわ。おかあさんがさ、また走り始めたらどう?って言ってくれるもんだから、前みたいにランニングを再開したよ。
お互い再婚同士やろ。結婚式もしてないし旅行なんかも連れて行ってないんだよな。おれも好き勝手色々やって来てけど、おかあさんの入院をきっかけにお金貯めて外国旅行でも行きたいって思てる。今日は七月七日やろ?このゾロ目の日にパチンコ屋以外の場所にいるなんておれは初めてや。」
そう言って白い歯を見せた。
おかあさんも笑っていた。
いい七夕だなぁと思った。
それからもおとうさんとおかあさんは、支え合いながらいつもお店に寄ってくれている。
さてさて、今日は七夕だ。
この雨も早く止んでくれたら良いのにな。
「松本くん、仕事はたまにはサボる位がちょうどいいんやぞ。今度もし台風が来た時は、おれが店長に言って、早めに帰してもらえるようにお願いしてやるわ」
と、おとうさんが言った。
おれもそうだけど、おとうさん、なんでこんな雨風の日にそんなランニングの格好してるの、外走るの危ないでしょ?と聞いてみた。
おとうさんの大きな目標は、いつか外国で行われる、山道を不眠不休で走る、最も過酷な耐久レースに出場することらしい。だから多少の雨風の中での練習がかえっていいトレーニングになるそうだ。
「おかあさんのこともあるから無理はせんように心がけてるから。おかあさんもそうやけど、おれもひとりでは生きていけないからなぁ。お互いこの歳になって大切さが身に沁みるわ」
とおとうさんが言うと、おかあさんも少し呆れたように笑った。
どこか少し嬉しそうだった。
「今日くらいは高いビールをあんた買えば?」
とおかあさんが言うと、
「お、さすが良いこと言うね、おれが好きになった女やな。」
とふざけていた。
七月七日は、二人の結婚記念日だそうだ。
粘って粘って、三十年前のこの日にどうやら籍を入れたらしい。
もちろんおとうさんのゲン担ぎである。
二人を見送るため外へ出ると、いつの間にか雨も上がっていた。
すずめとせみが交互に鳴いていた。
おとうさんは、元気に走り続ける。
ありきたりで、月並みな表現かもしれないが
おかあさんの希望と幸せと笑顔と
愛情を胸に抱き
明日も走る。
二人にゴールはまだない。
なぜなら
おとうさんとおかあさんの
二人三脚の人生は
たった今
はじまったばかりだから。
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私の記事に立ち止まって下さり、ありがとうございます。素晴らしいご縁に感謝です。