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夜行性の大学 第一夜 超・経済論   ー4次元目・猫の目やお金の正体垣間見し・背景編ー

お金が生まれた背景をみてきて、「お金って何?」って話をまとめると、
お金は「価値を運ぶ器」。
器が運ぶ中身が、お金の本質・正体で、
その中身とは、我々が感じた「価値」。
「価値」とは、喜びなどの「上げ感」である。
つまり、お金の正体は「価値」であって、「上げ感」、であーる。
「個々がどんな喜びを感じたのか」が、お金の正体って事になる。
とりあえずの今の表に見えている世界では、
お金、特に貨幣を持ってる持ってないって、運命みたいなところもあると思うんだよね。

一方で、お金が生まれた原点の、「何かに対して感じ取る『喜びの深さ』」を大きく深くしていくことは自由にできるじゃん?
それが、お金を受け取る器の大きさを大きくするのかな、って。そう思う猫がいて。
感性は働かせる程、人の器を大きくすると思うから、
その人の感性とか想像力によって自在に形作られる器がイコール、貨幣も含めたお金という道具であつかう器ってことで、そこ合致していったらいいよね、って。

こんな希望的観測でも、しゃべることで形にしてくのが「超・経済」。限界を超えていく教室だからね、一応ね。

さっき3次元目の最後に、「お金の価値は変動するよね」っていったじゃん。
この器の大きさの変動がイコール、価値の変動なんだけど。
「人の器の大きさがイコールお金の器の大きさ」これって、「経済」の話だと思ってて猫的に。
だから、「経済って何だろ?」ってそこをまたちょっと見ていきたいんだ。

まだ闇ってて誰も見えないけど、猫目の力でギラギラギラリーン、流れてくくまま、もよおしたまま喋っていきます。シーンとしてると声、響くよね・・。

「経済」って、「経済」は、現状「金銭のやりくり」って解釈されているけど、
これって、「伝言ゲームで言葉の端だけが残った感」あるよな、って。
総長の猫目的にはそう見えるんですけど。。
元々の、本来の意味の「経済」って、
「人が生きていくための、活かし生かし合う関係性」のこと、なんだよね。
あくまでもそのために、お金や貨幣という道具が活用できますよ、って事で。
つまり、「お金のやりくり」とか「自分一人の損得計算」が、イコール経済ではないわけで。
手段と目的が知らない間に入れ替わってるかんじなんだよね。

本来の経済の目的は、「価値という中身が入った器を受け取った私が、その中身に何を感じたかで、新たな中身を器に入れて、次の人に与える」この「流れ」を作っていく事だから。

「手に入れる・持つ」とか、「何をいくら持ってる」って、固定的な切り離された一人の話じゃなくて、
「受け取って与えてを繰り返す」人と人と人と…の間の「流れ」。
「Not stock, Flow!」「血じゃなくて、血流。それが命。」みたいな? 

そして改めて「お金」も、この「流れ」を求める人の心から生まれた道具なんだよね。
お金は「流れを生むために生まれてきた道具」、人がそうしたくて生み出した道具だから。

だから、お金の便利な機能として、確かにさ、
「形のない価値」や「その時にしか感じられない心の動き」を、数値化して、
ある期間、時には永遠に”保留”出来る便利さを、兼ね備えてると思うんだけど。

でもこの”お金の価値の有効期間”って、本来限りがあって然りだと思うんだ。
それは、「価値が生まれた時の感動を、人が蘇らせることの出来る期間」なんだと思うんだよね。本来は。
価値を生む感動にも鮮度があるってこと。
感動って振動だから、生まれたあとに、徐々に弱まって然りじゃないのかな、って?
だから、本来期間限定の価値が、お金を表す数字の大きさに反映されるのが、本来のお金と経済なんじゃないかって。
我々が「上げ感」や「感動」によって自在に生み出す器、それとお金はリンクしてて、経済として流すことで、器がさらに大きく変形していく、その流れが本来の経済、みたいな。

だから、その経済の本当の姿を見つめたうえで、あらためてお金ってものを見てみると、
「お金って、そもそも永遠に貯めるために発明されてないんじゃん!」って。そう思うんだよね。
もともと、人が「流れを作るために発明した道具」。
だからその本来の機能を止めたら、そりゃ、、当然詰まるよね。
そして詰まったら、やっぱ、、苦しいよね。だから、もよおして行こうよ、って話なんだけど。

「お金がないと生きられない」流れて然りなものを、何で止めて溜めてすることに全集中してしまって、
その無理目な挑戦に躍起になってきたんだろ?経済は「流れ」なのに。
「自分だけが多く持つ」、「自分のところにいかに留まらせるか」
何でこの「詰まり」を「幸せ」と勘違いしたんだろ?
これは、便秘だったら「自らの腸を自分の手でねじる、痛みしかないプレイ」・・・これを何で幸せと信じ続けたんだろね?

自分にとっての「上げー⤴︎」の現れだった数字の「価値」を見失った?
生まれてきた時は超豊かにあった「上げ感」=「価値」を自分が無くしちゃった?

「『上げ感』失って、怖い。」「私、無価値で怖い。」

この本末転倒。何につまづいて、転倒しちゃったのかな?
ここを次、見ていきましょう。

裸眼の猫目で見た闇。「超・経済論」次の教室はこちら ↓

illustration by NEKO Shiroi

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