メシのタネを探して ―転職エージェントもサイトも使わず、人との「ご縁」をいただいた記録
これは25年間、私が転職を通じて見つけた“働く意味”の記録です。
転職は環境を変えることではなく、自分の意味を見つめ直すこと。
高校時代に聞いた「メシのタネ」という言葉から始まり、挑戦と失敗を繰り返しながら辿り着いた、働くことへの答えを書きました。
幼少期 ― 山のふもとで
都市部の小さな山のふもとで育ちました。
体はあまり強くなかったけれど、父と母がよく裏山へ連れて行ってくれた。
汗をかいて、転んで、また登る。
帰り道に飲む水の味を、今でも覚えています。
夏は水泳教室。
冷たい水が怖かったけれど、母が根気強く通わせてくれた。
そのおかげで、少しずつ世界に出ていく勇気を覚えた気がします。
誰かに引っ張られて一歩踏み出した経験は、
後の人生で「自分を信じる力」に変わっていく。
中学時代 ― 選択肢という言葉
体は丈夫になり、休み時間にはドッジボール。
かけっこでは上位常連。
勉強の方はそれなり。
両親は「選択肢を増やすため」と塾に通わせてくれたけれど、
その意味を理解したのはずっと後になってからでした。
高校進学のときも、特別な夢があったわけではありません。
まだ“何をしたいか”を探している途中だった。
あの頃の「選択肢」という言葉は、
どこか他人事だった。
自分の人生の“選択”を、自分の手で選べるようになるのは、もっと後のこと。
夢を手放すことを知った頃
幼い頃はパイロットになりたかった。
「英語が必要だよ?」と他人に言われ、
その一言であっさり諦めた。
中学ではテニスに夢中になり、プロを目指した。
けれど、サーブはエースかダブルフォルト。
そして手首を痛めて選手生命はおしまい。
あっけなく現実に戻された。
夢を失うたびに、
“できること”と“できないこと”の境目を知っていった。
その境目が、少しずつ自分の輪郭を作っていったように思う。
夢は、叶わなかったことよりも、
一度でも本気で目指したことの方が、ずっと意味がある。
高校時代 ― 「メシのタネ」に出会う
ある日、テレビで野球選手が言っていた。
「決め球の握り方は教えない。メシのタネだから」
その言葉が妙に心に残った。
“自分のメシのタネ”って何だろう?
何かひとつ、自分にしかできないことを見つけたい。
そう思い始めた。
小学生の頃、父に言われたことを思い出す。
「コンピューターもゲーム機もあるなら、どちらかにしろ。
コンピューターを使って自分でゲームを作ればいいじゃないか」
その瞬間、ゲーム機を手放した。
遊ぶ側から、作る側へ。
“作ることで食べていく”という考えが、自分の中に生まれた。
「好き」を選ぶのではなく、「続けられること」を選ぶ。
それがこの時期に芽生えた、最初の職業観だった。
専門学校時代 ― 努力という言葉の意味
コンピューターの専門学校に進学した。
成績順にクラスが分かれる厳しい環境で、上位クラスに入ったものの、
その中では埋もれる存在だった。
試験に落ち、焦りながらも続けた。
2年生の秋、ようやく「基本情報技術者」に合格。
通知を受け取ったとき、
初めて“努力”という言葉の重みを実感した。
「できる」より、「続けた」ことの方が、
人を成長させる。
気づけば、“メシのタネ”に選んだコンピューターと共に、
私の人生は静かに動き始めていた。
ただ、その先に待っていたのは、想像もしなかった現実でした。
🔒 有料エリアの内容(ここから先で読めること)
初めての転職で経験した“極貧のリアル”と、そこから這い上がった日々
起業と挫折――「成功」と「限界」を同時に知った瞬間
公園で缶コーヒーを手に泣いた夜
そして今、「挑戦できる環境」を残す側に立って感じること
25年分のキャリアの軌跡をお届けします。
ここから先は
¥ 5,000
この記事が参加している募集
いただいたチップはのあ🐾のエサ代にします🐟
