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小説『地図と拳』感想・レビュー(ネタバレあり)

※この記事には広告リンクを含みますが、内容は一読者としてのリアルな感想です◎気軽に読んでもらえたらうれしいです。

※この記事は、過去に別ブログで公開していたものを加筆・修正して再掲しています◎


今日は、小川哲『地図と拳』。

2025年に入ってまだ約4か月だけど、今年読んでよかった本1位は間違いなくこれ。

※この記事にはネタバレが含まれますのでご注意ください。



『地図と拳』の紹介とあらすじ

概要

  • タイトル:『地図と拳』

  • 作者:小川哲(おがわ・さとし)

  • 出版年:集英社

  • 出版社:2022

  • 受賞:第168回直木賞、第13回山田風太郎賞

 あらためて思うけど、わたしの中で直木賞受賞作品は毎回間違いなくおもしろいんだよな……。歴代の受賞作全部読んだわけではないけれど……。直木賞受賞作は、基本的に熱量がすごく高い、ような気がします。本の中に並ぶ文字がもつエネルギーがすごいというか。
この『地図と拳』も、漏れなくそんな感じ。


あらすじ

ひとつの都市が現われ、そして消えた。日露戦争前夜から第2次大戦まで、満洲の名もなき街へと呼び寄せられ、「燃える土」をめぐり殺戮の半世紀を生きる男たちの運命を描く。 日本からの密偵に帯同し、通訳として満洲に渡った細川。ロシアの鉄道網拡大のために派遣された神父クラスニコフ。叔父にだまされ不毛の土地へと移住した孫悟空。地図に描かれた存在しない島を探し、海を渡った須野……。 奉天の東にある〈李家鎮〉へと呼び寄せられた男たち。「燃える土」をめぐり、殺戮の半世紀を生きる。

集英社文芸ステーション



『地図と拳』感想・レビュー

歴史×SFの魅力

 まずは、歴史、それも戦争という“とっつきにくい”題材にSFの要素が入ることで、すごく読みやすい仕上がりになっていると思う。日清戦争あたりから始まる日本の不穏な歴史が正確に再現されている中に、作者の空想から成る世界が違和感なく溶け込んでいる素晴らしさ。日本やロシア、満州といった実在する国や地域の中に存在する、李家鎮(のちの仙桃城)という場所や、孫悟空(この名前もいいよね)が習得する硬気功等というありそうで実際には存在しない拳法……。歴史的な魅力とSF的な魅力が見事に掛け合わさって、絶大な求心力を生み出している感じ。ページをめくる手が止まらない、本当におもしろい作品でした。


登場人物それぞれの魅力

 章ごとに主人公や場面が変わっていくという構成の『地図と拳』。この構成だからこそ、登場人物一人ひとりに愛着が湧くというか、登場人物それぞれの背景がよく見えてきてとてもおもしろかったです。「は~~~だからこう言動になるわけね」という、納得感がある。そして、激動の時代が舞台だからこその登場人物たちの葛藤が、この構成だからこそ描き切れている、という感じがします。

 それから何と言っても、登場人物それぞれに、ちゃんと意味がある。この物語の中に存在している意義が、全員にちゃんとあるのがすごい。わたしが個人的に好きなのは細川、須野明男、李大綱(リーダーガン)、孫悟空(ソンウーコン)、そして中川かな。甘粕大尉と安井は、存在意義としては大きかったと思う。

細川
 細川はもう、言わずと知れた暗躍者というか、ある意味「黒幕」というか。第二次世界大戦に敗れた後の日本にとっては、影の立役者になるのかな。高木による細川の「燃えない土」という最初の評価が、後々の細川の言動とのコントラストを際立たせていて非常に良かった。

 なんといっても、この本のタイトルでもある『地図と拳』と題された細川のスピーチはすごかった。作者・小川哲、やばい(語彙力)。何よりも、「戦争構造学」なんて言葉、どうやったら思いつくのおおおおおおと震えた。「地図と拳の両面から、人類の未来を考える学問」……。しかも、そうやって登場人物たちに学問として戦争や日本の未来について研究させていったうえで、その画期的な学問さえも戦争の前では無意味なのだとぶった斬る。戦争構造学の限界を見せることになっていると(歴史の流れからして)わかっていながら、細川にあのスピーチをさせることができる小川哲、すごい。もはや怖い。才能あり過ぎて怖い。

須野明男
 
この作者の怖さ、というかすごさは、須野明男というこの『地図と拳』全体の主人公と言ってもいいだろう登場人物の名前にも表れていて、作中にも明記されているけれど、逆から読むとオケアノス。オケアノスというのはギリシャ神話に出てくる海の神で、古代ギリシャの世界観では「地の果て」という意味で用いられることもあったそう。父・須野が細川に依頼された「青龍島」の謎を、明男が解き明かすのよね。青龍島は、李家鎮の住民が信じている「地の果て」にある理想郷。ん~~この見事なまでの細部へのこだわり……。作者にとっては当たり前のこだわりかもだけど。やっぱり、すごくて怖いです。

 で、彼は戦争という時代の中にあってもとにかく冷静、というか合理的なのよね。徴兵されてもそれは同じで、営門=この世とあの世を分けているとか、兵舎=戦場で正確に動く機械を生産する工場のようだとか、「一銭五厘の葉書でお代わりが来る歩兵には、薬莢一つぶんの価値すらない。」「『帝大卒』と『青年建築家同盟』の肩書きは、ところ構わずビンタのできる人形の十分条件」だとか。

 そうやって冷静に辛い時期を乗り越え(?)、かつての李家鎮である仙桃城の象徴となる李家鎮公園を作るという使命を与えられる明男。悩む明男に、父である須野は「建築という意味のアーキテクチャは、始まりを作る技術者というギリシャ語が語源である」という話をするのだけど、それがまたなんか、いい……。明男はとにかく、そこに住む人たちのことを思って進んでいくのよね。細川とのやりとりも好きです。

李大綱(リーダーガン)
 
実際には李大綱では全くなく、「周天佑」という男。このあたりの設定も非常に痺れました。もはや怖かった。彼の説話に対する思いには、作者の「物書き」ならではの思いが大いに込められていたと思う。SF作家として、「現代」と「未来」を強固につなぐためには、正しい柱や梁が過不足なく書き込まれた設計図が必要なのだという思い。

 周は聴衆を満足させるためにさまざまなことを勉強し、説話の理論を体系化し、そしてそれらを含む自身の人生すべてを手帳に書き込んでいく。手帳によって彼は李大綱になっていいき、そしてその手帳によって孫悟空の手で殺されることになる……

孫悟空(ソンウーコン)
 李大綱と孫悟空の二人の話は、SF感がかなり濃くて、個人的にはすごく好き。なんというか、私の心の中にある“中華好きなオタク”部分がすごく満足する。

 孫悟空はもともと楊日綱(ヤンリーガン)という男。自分の無力さゆえに父が殺されてしまったと、李大綱の主催する神拳会(この名前の由来もいい)に入り修行する。で、この修行の内容がものすごく興味深かったので読みながらメモしていたのだけど、以下にポンと置きますね。

・少林七十二芸のうちのひとつ『硬気功』の奥義である金房子罩
 気によって体の一部を「金属の房子を罩(かぶ)ったように」硬くする奥義
・排刀一の芸
・土木反転=肉体を熱力で覆う
・夷狄(いてき)粉砕=熱力を集中して放出する
・地獄警邏=全身の熱力の強弱を調整する
・常闇微光=暗闇で視界を確保する
・宇宙卵速射

『地図と拳』より

 最後の宇宙卵が割れ、楊日綱は孫悟空に。神父クラスニコフと出会う前の銃撃戦で彼が生き残ったのも、この金房子罩を習得していたからなのよね。この一連の修行はなんか、すごく興味深かった。李大綱も実際にこれらを習得する人間がいるとは思いもしていなかったんじゃないかな。

中川
 彼のことを考えるともう、なんというか頭の中がぐちゃぐちゃになる感じがする。優秀な変わり者としての中川、Kとしての中川、そして兵士としての中川、修羅となり戦死した中川……。中川がKだったことにももちろん驚いたけど(仲間内の誰かがKだろうとは思っていたけど、まさか中川だとは全然思っていなかったので……)、兵士になってからの彼の言葉というか頭の中はもう、生と死の瀬戸際があまりにも生身に迫っていて何というか……、読みながらもうやるせないというか、悲しいとも違うなんとも言えない気持ちが心の淵に常に引っかかってくるというか。建築や音楽、思想のことや戦争と平和のことなんて、正しいことと間違ったことの区別なんて微塵も考えられず、昨日の梨の味や毛虫の気持ち悪い感触、そんなことだけで頭が一杯になっていくのも、引き金を引く気のない自分が行っているのは戦争ではなくただ“前に進む”という、あらゆる動物が生まれつき習得している行為なのだという考えも。「そもそも自分たちは今、『人間』なのだろうか」という問いも。

 これが戦争なんだと思わされる瞬間の数々、実際に戦争が始まれば、多くの人が中川のように使い捨ての駒として徴兵され、みんなどこかで修羅になり、ある人は死に、ある人は生き残る。それ以上でも以下でもないというか。中川の場面ではそういう描写が多かったと思う。


甘粕大尉・安井
 
甘粕大尉は実在の人物。二人とも怖いくらい戦時中の日本に染まっていて、目の前のことなんて何も見えていない、すごい、でも今も実際にこういう考え方の人ってたぶんけっこういるよね、という感じ。それを文字で読者の目の前に立ちあげてくれる作者、やはり恐るべしです。

 甘粕の「家では家長に従って犠牲的精神を養い…この崇高な犠牲的精神によって蛮国を統治する」「大和民族は特別の存在」「他民族の汚れた精神」云々という言葉もすごいし、それに対して「安井は両手が骨になるほど拍手した」という描写もすごい。「度胸試し」で殺される“支那人”と新しい人格を得た(そして大切なものを失っただろう)安井。鶏冠山の村人たちの虐殺を決めたのも彼でした。読んでいるだけではらわたが煮えくり返る思いだった。

 「支那人を正しく導く」とか、「大和民族としての使命」とか、果ては「彼の貧しい生活の形跡を思うと、自分たち大和民族の非力さを呪いたくなった。支那人の生活が改善しないのは、我々の満州経営が完璧でないからである」という言葉の恐ろしさはもちろんだけど、なにより彼がそれを本気で言っているということの恐怖で背筋が寒くなる。

 一方で安井がかわいそうだとも思ってしまうのは、この思想が安井本人がゼロから生み出したものでは当然なくて、小学生の頃の教育によって天皇陛下を神と思って生きる羽目になったから。その教育が、玉音放送で首を吊る安井のような人間を生み出した。そういう恐ろしさが、安井の物語全体を通して描かれているのよね。

 そういう意味で甘粕大尉と安井は、『地図と拳』の中でなくてはならない存在だったと思う。すごく大きな存在。


 取り上げていないだけで、他の登場人物全員、本当に良かった。ある主人公の背景にいた人たちが主人公になるというか、人間一人ひとりが、その人の人生の主人公というのが、当たり前だけどひしひしと。

 章ごとに主人公が変わっていくのがスムーズで、当たり前だけど読みにくくない。それぞれの人生が交差していく感じがすごくよかったです。


“過去の戦争”と“今”をつなぐ物語

 作者本人が集英社の刊行記念エッセイで書いているのが、

  • どう考えても勝てないような国(アメリカ)を相手に、なんで戦争を仕掛けたの?という疑問の答えを考えていかなければならないということと、

  • 「『日本が戦争をした』という文章を『僕たちが戦争をした』という文章に読み替えなければならない。」ということ。

  • この『地図と拳』を書くことで「過去の戦争と現代を接続」し、そしてそれは「現代に存在するさまざまな戦争の萌芽に目を向け、僕たちなりの反戦活動をするために必要なのではないか。」ということ。

 今まさに、世界中で起こっている戦争や紛争、第三次世界大戦が始まるのではないかと言われている現代。日本人の多くはまだまだのんびり暮らしているけれど、戦争なんて始まってしまえば一瞬で、『地図と拳』に出てくる李大綱が言う「千里眼」のように「千里先を見ることは、千里前を見ることと同じ」なのだとしたら、そしてその千里前というのが先の戦時中のことだとしたら、やっぱり日本はなた同じ道を歩んでいってしまうんじゃないかなと考えさせられる。もちろん、作者である小川哲は、それを阻止しようとこの本を書いたわけだけれど。そして、それが直木賞に選ばれたというのはとても大きな意味のあることだとは思うけれど。

 過去に“わたしたち“日本人が犯した過ちを二度と繰り返さないために、過去の戦争を、フィクションを交えてここまでリアルに立ち上げた『地図と拳』、たくさんの人に読んでもらいたいと思います。


『地図と拳』感想・レビューまとめ

 戦争時における人間の無力さやいびつさ、それに抗おうとする人たちの生き様……。

 分厚い本って世の中にたくさんあるけれど、この分厚さでずっと、なんというか、意味のある言葉の羅列。一章読み終えるごとに満足感がすごくて、毎回深呼吸してました。

 参考文献が見開き8ページ分というのも本当にすごい。本当に。今、議会で居眠りしている政治家たちに読んでほしい一冊でした。



『地図と拳』が“はまった”あなたにおすすめの本

東山彰良『流』

 第153回直木賞受賞作。これは興味深いだけでなく、リアルに笑えるおもしろさもあって、電車の中で読んじゃいけないかった。作者の故郷である台湾が舞台というのも、『地図と拳』がはまった人には刺さる作品かなと思います。

川越宗一『熱源』

 第162回直木賞受賞作。わたしは元々アイヌ文化に興味があったのでもうすべてが刺さったのだけど、『地図と拳』のように歴史的な魅力を感じるのにもおすすめの作品。あ~改めてもう一度読み直したい。大好き。

小川哲『君のクイズ』

 『地図と拳』の作者の最新長編。第76回日本推理作家協会賞他、さまざまな賞にランクイン。目立つ表紙で知ってはいたけどまだ未読なので読みたい。『地図と拳』とは全然違うだろう物語がどんなものなのかとても気になる……。




他にもいろいろ、おすすめの作品!


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