愛と祝福の一端
夜中3時。
おっぱいを飲み、腕の中でぐっすり眠った我が子をベビー布団の上に運ぶ。その足取りはさながら忍者。今回も無事に任務完了。
万歳の恰好でスヤスヤと眠る我が子を確認し、夫が寝ている布団に潜り込むと、眠たそうな「ありがとう」というふにゃりとしたささやきとともに、体温の上がった腕が回される。
幸せとか、愛とか、そういう単語を具現化したらまさにこんな感じなんだろうな、なんて思いながら次の授乳に備えて眠りにつく。
自分で言うのも何だけど、なんだかもう、愛のあふれる幸せな日常、というやつ。
我が子がわたしと夫に会いに来てくれてから、もう2ヶ月が過ぎた。わたしたちの顔を見るとニコッと笑い、何かを訴えるようにおしゃべりし、最近は自分の右手を見つけてよく眺めている。かわいい。かわいくてたまらない。
産むまで、我が子のことをかわいいと思えるのか不安だった。妊娠期間中つらいことはほとんどなく、全然顔を見せてくれない我が子のエコー写真を夫と見ながら、「かわいいね」なんて会話もした。けれど、本当のことを言うと、心の底からかわいいとは思っていなかったと思う。産んでから、かわいいと思えなかったらどうしよう、愛せなかったらどうしようと、いつもうっすら、心のどこかで思っていた。
なぜなら、わたしがわたしのことをうっすら嫌っていたから。言い方を変えると、自分のことを心の底から愛せていなかったから。
子どもの頃から、わたしは自分のことが嫌いだった。自己肯定感が低くて、そのくせ承認欲求は一人前。うまくいかないことは全部他人のせいにして、でも、何もできないわたしのことはちゃんと愛してほしい。
どこにでもいる、うっとうしい人間。
(愛すべき)うっとうしい人間、だと今は思えるけれど。
紆余曲折あって、夫と出会う少し前にはそんな自分も受け入れられるようになり、(逆に言うとreadyできたから夫に出会えたのだと思うけれど、)優しい夫と過ごすうちに、自分のことを少しずつ好きになっていけた。それはたぶん、夫への大好きを伝えるためでもあったと思う。でも、それでもまだ、うっすらと自分に対する不信感というか、好きになれない気持ちが残っているのはわかっていた。でもそれが。
初めての出産で、すべてが変わった気がした。
この世の“お母さん”みんなが経験しているありふれた、そして偉大な出産。赤ちゃんをこの世に産み落とすまではどうしたってリタイアできない、陣痛から始まる、短くて長い旅路。
出産を終えて一息ついてから最初に思ったことは、「この世に生を受けた全人類、どうしたって愛されてる。この世に祝福されてる」。
だって、出産という、人間が人間を産む行為の果てに生まれてきてるんだもん。奇跡とか神秘とかを、当たり前のように、すごく近くで感じた。
スーツ姿で歩く若い男の人も、たばこを吸いながら自転車に乗ってるおじいさんも、買い物袋を両手に提げて道行くおばさんも、そしてもちろん、わたしも。
生まれてきた時点で、人間がこんなにも愛されているなんて知らなかった。何から愛されているのかわからないけれど、こんなにも愛されてる。出産を終えて、そう心から思って、自分でもびっくりした。
それで、わたしは自分という存在をまるごと許せるようになった。たぶん、愛せるようになった。出産を無事に、気持ちよく終えられた自信もその一助になっているかもしれない。
出産を終え、わたしはわたしを愛するにふさわしい人間だとわかって、それで、それと同じかそれ以上に我が子が愛おしくてたまらない。
この先もまだまだ長い道のり。自分を愛するにはきっとまだ道半ばだけれど。我が子の、お腹が空いたと泣く姿も、体を揺らすとキャッキャと笑う姿も、眠れないから寝かせてくれと泣く姿も、このすべてが愛おしい日常を大事にしていこうと思う。
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