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酒蔵「真澄」の歴史

長野県、諏訪に来ています。

諏訪湖で有名なこの地には、1662年創業の歴史ある酒蔵「真澄」があります。
こちらの25代目・宮坂勝彦さんに、お話を聞いてきました。

日本酒セミナー

『真澄の歴史』

・1662年(江戸時代)
戦国時代が終わり、武士だった宮坂家が酒造業を始めました。
地域に根ざした酒蔵として、地道に運営していたそうです。

・1910〜20年代
明治末期、当時の酒造業界は「安く・大量に・どこでも同じ味」を求める「大衆酒マーケット」となっており、真澄も大手と同じような大衆酒を作っていました。
そこで激しい価格競争に巻き込まれた結果、
利益率は下がり、蔵はつぶれる寸前まで追い込まれます。

そこで21代・宮坂勝は、大衆酒から高品質な酒の製造へ舵を切りました。

・1946年〜1960年代
技術を磨き続けたことで、「全国新酒鑑評会」で1位を獲得するまでになりました。

そして1946年、真澄の蔵から「7号酵母」が発見されました。

「酵母」とは?
日本酒造りにおいて、米の糖分をアルコールと二酸化炭素に変える微生物のこと。
この酵母の種類によって、お酒の「香り」と「味わい」の8割が決まると言われている。


日本中の酒蔵がこの酵母を欲しがり、日本醸造協会が「7号」として全国に配布しました。
現在でも、日本で最も多くの酒蔵で使われている酵母の一つです。

自社の蔵から出た酵母が「日本一の酵母」として全国に配られたことで、
真澄は「技術の源流」というブランドポジションを確立しました。

・1980年代〜2000年代
1973年のピークを境に、日本酒の消費量は右肩下がりになりました。
これまでアルコールといえば日本酒が主流だった時代から、
若者の日本酒離れ、ワインやウイスキーの台頭が主な要因です。

消費量は減りましたが、1本あたりの単価は上昇し始めました。

地酒ブームが起こり、消費者は「安く酔える酒」ではなく、「ストーリーのある酒」を求め始めたのです。
24代目の直孝氏は、諏訪の風土や文化を積極的に発信し、真澄を信州のブランドへと押し上げました。

・2019年〜現在
日本酒の国内市場はさらに縮小し、かつての1/4以下まで落ち込んでいます。
しかし一方で、海外輸出額は450億円超。この20年で10倍以上に成長しました。
米国、中国に次いで、タイ、ベトナムなどのアジア圏の高級市場が急成長しています。

そこで25代目の宮坂勝彦さんは、真澄の更なるブランディングのため、
流行の華やかな酵母を追わず、自社のルーツである「7号酵母」に経営資源を集中させる戦略を取りました。

そして、香港に現地法人を立ち上げるなど、積極的な海外展開を進めています。
その結果、「MASUMI」は海外でも高級日本酒として認知度が上がってきています。

勝彦さんの話では、日本酒市場の縮小や米価格の高騰などにより、
今後数年で倒産する酒蔵が増えてくるそうです。

そんな厳しい市況の中、伝統を大切にしながらも、変革と革新によって300年以上も生き残ってきた真澄の歴史は、ビジネスモデルとして非常に勉強になりました。

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