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ひとつの気づきが地上に定着した記念碑〜メタトロン キューブを描いて見えてきたこと〜


ご訪問いただきありがとうございます。
風の家アトリエの岸真由美です。

今回の記事は、
メタトロンキューブや神聖幾何学について
書こうと思ったものではありません。

ひとつの図形を描き、刺し子をし、
点描画を描いていく中で見えてきた
私自身の気づきの記録です。

振り返ってみると、
それは「創作とは何か」を
教えてくれた時間でもありました。

受け取ったものを
そのまま憧れとして見上げるのではなく
自分の中を通して、自分の暮らしや
表現の中に根付かせていくこと。

今回のメタトロンキューブとの時間は
そんな体験だったように思います。


数週間前から
自分の内側から気づきたい何かが出てきていて
彷徨うようにそれを探していました。

絵を描きたいようなのですが、
何の絵を描きたいのか分からずでした。


こんな時は、道具や材料に目を向けてみて
必要そうなものを買ってみたり、
湧き出てくることをメモしたりしながらも、
「自分は何をしているのか?」
「何がしたいのか?」
わからない状態の中にいました。

ある日
神聖幾何学のテンプレートに触れて
メタトロン キューブを描いてみようと
思い立ちました。
テンプレート通りに描き、刺し子にしようと
晒しに写し書きしたのですが、
頭がクランクランなって
めまいが起きているような状態になりました。

これを描くことは
違うのだなと思ったのですが、
メタトロンを描きたい気持ちは
残っていたので、図形を一から
描くことにしました。


神聖幾何学を正確に模写することは
左脳を強く使います。
私は左脳を強く使う作業が
疲れやすくなり、無意識に
お菓子などを食べたくなる衝動に
駆られます。
しかも、メタトロン は、かなり複雑な
模様ですので、ちゃんと出来るかな?と
心配にもなりました。

しかし、見本のメタトロン 図形を
ジーッと見ていたら
描き方の順序が見えてきて、
30分ほどで複雑な神聖幾何学を
描き終えることが出来ました。

その図形がこれ↓です。


出来ないかもしれないと思っていたことが
すんなり出来たことは嬉しく思い、
この図形を晒しに写し書きし
刺し子をチクチクとはじめました。


図形を描いている時から
刺し子を縫っている間中
何故かキリストと12使徒が浮かんできて
縫ってる最中、歴史を調べてました。

浮かんできた内容は
12使徒は、キリストの死後に
世界各地に散らばっていき
キリストの教えを伝えだしたと言うことです。

キリストが側から離れたことにより
彼らは、独立して活動するようになりました。

師の側にいる時期は、学ぶ、吸収する、
支えてもらう時期です。

離れた後は、自分で試す、
自分で失敗する、自分で気づく、
自分の言葉に変換するようになりました。

彼らは、離れた後、
順風満帆だったわけではありません。 
迷い、反対されました。
その度に、「イエスなら何と言うだろうか?」
ではなくて、「私自身はどう生きるか?」
と、問い、そこからひとりひとりの
歩みが始まったのだと思います。

人は誰から深く影響を受けると、
その人の言葉や在り方が内側に残ります。
最初は外側にいる師だった人が、
いつしか内側の指針のようになります。

彼らは、「教え」から離れたのではなく
「教え」が自分の内側で生きる存在へと
変化していきました。

本当に受け取ったものは
離れた後に育ちはじめます。

離れたことで、自分で考え、自分で感じ、
自分で決断する必要が生まれ、
そうしてひとりひとりの個性が
現れてきました。


キリストは支配者にはなりませんでした。
自分のように生きなさいとも言わなかったし、
自分のようになりなさいとも言いませんでした。

12使徒たちは、キリストの真似もせず、
彼らの人生を歩み始めました。
みな同じ先生から学んだのに、
同じ人物にはなりませんでした。


彼らの生き方の中に、
キリストの教えが根付いていて
その生き方そのものが
人々に惹かれていく。
そんな面も沢山ありました。

教えを広めたことだけでなく
受け取ったものを、自分の暮らしや
創作や言葉の中で、
自分らしく個性を輝かせながら生きました。
彼ら自身の体験や理解が加わったからこそ、
多様な伝承や文章が生まれました。


それぞれの地で、自分の言葉で
自分の経験を通して、
自分の人格を通して伝えたから
キリストの教えは沢山の人たちに
届いたのです。




メタトロン の刺し子をチクチクしながら
キリストと12使徒の歴史に思いを馳せ
知りたかったことの中に
こうして私なりの気づきが出てきたりしながら、
メタトロン 刺し子は2日で完成しました。



出来上がった日の夜、偶然にも、
スペインにあるサグラダファミリアの
キリストの塔が完成したニュースを
見ました。


キリストの塔は真ん中で
一番高くそびえるように建ってました。

塔は、
12使徒ひとりひとりの塔→12塔
複音書記者4名の塔→4塔
聖母マリアの塔→1塔
キリストの塔→1塔
と、18塔あります。



サグラダファミリア全体を眺めると、
中央のキリストの塔に向かって、
まわりの塔が見上げ、
支えているようにも見えました。

12使徒だけでなく、
キリストの教えを伝えていった
沢山の人たちの内側にはキリストの教えが
生き続けたのだと思います。

支配するより、仕えること。
上に立つより共にいること。

イエスキリストの教えが
2000年経った今でも残っているのは、
キリストひとりの力ではありません。

キリストは彼らに支えられ、
共に支え合いながら
広がって行ったのだと感じながら
サグラダファミリアを見ていました。




こうして私は、
メタトロン キューブの図形を描けるようになり、
メタトロン の刺し子をした後にも、
まだメタトロン の図形を
描きたい気持ちが残っていたので、
今度は画用紙にメタトロン の
点描画を描いてみようと思いました。

神聖幾何学というものは、崇高で美しいです。
完成された図形は大変魅力的です。

美しいものを見上げて「憧れるなぁ」
という気持ちだけで終わるなら
それは空に浮かぶ星を眺めているのと一緒です。

私が描くメタトロン は
美しい光と共に在るものだという
私の憧れのような概念は
ものの見事になくなる
メタトロン になりました。

13個の丸はキリストと12使徒を
重ねていたのだと思います。
そして13個の丸は、みな個性豊かでした。

この絵は、自分の中にある
「楽しい♪」にフォーカスしながら
描きました。








私は星を見上げることではなくて、
その光を地上に持ち帰ってきたのだと
思いました。
だからメタトロン キューブを正確に
再現することではありませんでした。

「模写」 ではなくて 
「翻訳」 だったのかもしれません。


私は以前から「受信」は得意な方でした。
感じる力もそれなりにありました。
しかし、受け取ったものは自分の内側を
通らなければ、それは誰かの
言葉の真似になります。
自分の色や模様が入った瞬間に、
私の表現になり、地上で息をし始めるのです。


以前の私は
「この存在は何を伝えようとしているのだろう」
「この歴史の意味はなんだろう」
「メッセージの正解は何だろう」
と、外側に答えを探しに行ってました。

でも、今、見えたことは、
「何故私はそこに惹かれたのだろう?」
という視点でした。

メタトロンも、
キリストも12使徒も、
サグラダファミリアも、
それ自体がゴールではありませんでした。

それらは私の内側を写し出す
鏡のようなものでした。

ここが大きな気づきとなりました。

私が描きたかったのは
メタトロン キューブでした。
けれど本当に知りたかったことは
受け取ったものを、自分の表現として
地上に根付かせることだったかもしれません。


絵を描くこと。
刺し子をすること。
受け取ったものを言葉に翻訳し、
文章にすること。

それらの創作の時間は、
単なる趣味ではなく、
私にとっては「地上に定着させる作業」でも
ありました。

空を見上げて憧れるだけではなく、
受け取った光を自分の人生の中に持ち帰り、
自分の色で表現すること。

今回のメタトロンキューブは、
そんなことを教えてくれました。


私にとっては、一枚の作品というよりも、
ひとつの気づきが地上に定着した記念碑です。


久しぶりにフレームにおさめました♪
自分の部屋に飾っています。


長文にお付き合いいただき
ありがとうございました🙇‍♀️

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