豊臣兄弟 織田信澄 史実を徹底検証|本能寺の変で光秀と共謀したのか
編集大河ドラマ『豊臣兄弟!』で、本能寺の変をめぐる重要人物として描かれた織田信澄。
信澄は架空の人物ではありません。
織田信長の弟・信勝の子であり、明智光秀の娘婿でもあった実在の武将です。
近江国高島郡の大溝城を任され、琵琶湖西岸の支配を担っていました。
では、ドラマのように光秀と本能寺の変を計画したのでしょうか。
同時代の『多聞院日記』には、光秀と「七兵衛」が共謀したという風聞が残っています。
七兵衛は信澄を指すと考えられていますが、この記録が証明するのは「共謀の噂が広がったこと」です。
事前の密談を示す書状、明智軍への派兵、本能寺襲撃への参加を裏づける確実な史料は確認されていません。
変当日、信澄は京都ではなく、大坂・堺方面で織田信孝や丹羽長秀らと四国遠征の準備をしていました。
それでも光秀の娘婿という理由から疑われ、変の3日後に大坂で襲撃されて命を落とします。
豊臣秀吉・秀長兄弟との本当の接点、大溝城主としての地位、共謀説が生まれた理由、ドラマ独自の心理描写まで、史実と創作を分けて詳しく検証しました。
