気持ち悪い恋は、いつも少し倦怠気味で
「人を好きになる」って気持ち悪いことだよね。
「気持ち悪い」って認めて受け入れないと、本当に人は好きになれないと思ってる。
相手に依存したくなる自分や、過剰に理想化したり、寂しくてたまらなくなったり、相手のちょっとした態度で一喜一憂したり。これら全部、冷静に客観視したら「うわ、キモ…」ってなる要素が満載よね。
「好きになる自分は綺麗で純粋でなければならない」
とか無意識に思ってるうちは、どこかでその気持ちを「汚いもの」として抑え込んでる。本物の好きが浅くなったり、歪んだり、怖くなって逃げたりしたりする。
逆に、「人を好きになるオレまじキモいけど、こういう気持ち悪い部分もセットなんだな」って、堂々と認められたら、好きになるハードルが下がると思う。是非、その気持ち悪さを持って告白してください。(成功するかは知らんけど..。
『過去の気持ち悪い自分をなかったことにしない』こと(#記憶のゴミ箱にポイ捨てしない)は、他人の気持ち悪さも投影として受け止めらてくし、そして、「好きになるという気持ち悪い自分」も許せるのかなって。なかったことにすることは、「敵」として見続けることだと思っていて、「自分の中の未熟さ・弱さ・汚さ」を許せない状態。その目で自分を見ていると、自然と他人の未熟さや弱さ、失敗にも同じ冷たい視線を向けてしまう。
「好きになる自分も気持ち悪い」って認めた上で、
それでも誰かを好きになれたとき、それはかなり本物で、強い好きになるはず。
「許せない自分」→「許せない他人」 のループ
逆に、過去の自分を
「あのときは本当にしんどかったんだな」
「精一杯だったけど、オレ間違えたんだよなぁ」
「まじ、あんときの私気持ち悪さしかなかった、よくもまぁ生きるよな自分」←(私はこれが強い
と、まぁこんな感じで、「一緒にいた仲間」みたいに扱えるようになると、他人の失敗や気持ち悪さに対してちょっと柔らかい目で見られるようになる気がする。
だから、「なかったことにしたくない」と時々振り返るようにしてるのは、そのループを断ち切るためかもしれない。それは、「自分を許す」ことが「世界を許す」ことにも繋がっていく。
他人が「気持ち悪い」って感じる瞬間って、
実はその人の行動や在り方に、自分の中にある「認めたくない部分」や「まだ許せていない部分」がピタッと重なってる場合がすごく多い。
「他人の気持ち悪さ=自分の中の気持ち悪さの投影」
結局、
自分をどれだけ丸ごと許せるかが、他人の「気持ち悪さ」に対する耐性や優しさの深さにも直結してる。
とは言え、
「予測不能・コントロール不能・自分の境界を侵される」ものは本能的に気持ち悪いと感じやすい。
一般的には、
境界線(パーソナルスペース)を無視されるとき。これが一番多い。無意識に、「脅威」や「不快」を感じるから。
他は、衛生面・外見の不快感。言動が社会的にズレているときなど。本能的にイヤな感じがするときは、感情の起伏が極端だったり、嘘や作り話が明らか、目が泳いでいるとか、なんとなく「打算的」「後ろ暗い」オーラを感じるホラー。これは「薄気味悪い」「虫唾が走る」系の気持ち悪さですねぇ..ドンマイ
「主観」がかなり強いから、同じ行動でも、信頼関係がある人なら大丈夫なのに、初対面や興味のない人だと急にキモく感じるとかもありますよね。
わたしも、キモオンナさん認定されないように、まずは、自分のキモオンナさん部分を認めて、他人(ひと)に柔軟になりたいものだわ。
