在りし日のぬくもり
「おかえり」という声が僕には聞こえない。
縁側の陽だまり、温かかった手
土の匂い、煮物の湯気
「ごはんだよ」という声が僕には届かない。
あたたかな掌、かいじゅうの絵本
踵がすり減ったスニーカー
緑の絵の具が付いたエプロン
「おやすみ」と言う声は僕の静寂に溶けた。
宛先を失い、隔て、空を切った
匂い、記憶、祈りを空に預けて
ひだまりの行方と僕の不在
ふぅわりと立ちのぼる青い香り
おばあちゃんの隣で背伸びして嗅いだ幼い僕
あの抹茶の匂いが僕の記憶のすべて
そのすべてをもって
まだとても若い僕は誰よりも勇敢な目つきで
陽が沈まぬ前に最後の死力を尽した。
疑うことが正当な心構えだとしても
僕は人の心を疑わなかった。
泣かないでおばあちゃん
抹茶の匂いをさせて
抹茶の匂いと、勇敢な僕
僕は少しだけ先に "おやすみ"
