なめられてたまるか 第3のリベロ Vol.55
いまの季節なら、海水浴やキャンプ。テーマパークにRPG、犬も猫もクルマもそうだ。変わり者の宿命なのか。世の中で愛されているものと、個人的な興味や好感度は一致しないことが多い。それは国家についても然りで、代表格がアメリカだ。
「偶然と必然のせめぎ合い」フットボールとは何たるか、至極の定義を授けてくれた敬愛するスポーツライターの名文では、同じ球技に対するアメリカでの評価の一例も紹介されている。1990年のイタリアワールドカップ決勝のあと、アメリカのとある新聞のコラムにて右のように記されたという。「次の大会ではアメリカにこの種の出来事が持ち込まれ、観客からは課金するらしい。(中略)もし、これがブロードウェイの興行なら一夜で打ち切りだ」(藤島大."私的ベストゲーム論".Number.2010,Vol.750)
それから30年以上が経った今夏、"この種の出来事"が再びアメリカへ上陸した。来年のワールドカップの先陣を切り、規模を拡大して開催されたクラブワールドカップ(CWC)。出場した4クラブが全てノックアウトステージへ進出したブラジル勢の活躍や、アル・ヒラルがマンチェスター・シティとの撃ち合いを制したアップセットなど、印象的なトピックもあった。ただ、準決勝以降はワンサイドゲームが続いたこともあり、やや尻すぼみの感は否めなかった。チェルシーの優勝で幕を降ろした今大会も、"ブロードウェイの興行なら一夜で打ち切り"だろうか。
これを単なる「他所事」だと片付けられないのは、わが国の論調も、えてしてアメリカと軌を一にするからだ。何かにつけ「アメリカはどう見たか」を気にかけ、そのお眼鏡にかなわなかったものは、価値が低いと見なされる。他方、アメリカで讃えられると過大評価され、大谷翔平などは全世界で認知されているかのように錯覚してしまう。
政治においても相変わらず、アメリカの"太鼓持ち"が著しい。トランプ政権との関税交渉をめぐり、石破首相が「なめられてたまるか」と発言したことについて、「歴史上最大の失言」と酷評した学者もいた。親米的な人びとは、アメリカへの追従こそが"国益"にかなうことで、あたかもそれが「唯一無二の選択肢」であるかのように論じる。一種の思考停止のようにも映るが、当人たちはなぜあんなに訳知り顔で、居丈高に振る舞うのだろうか。
観客数は687人。先ごろのフットボールのE1選手権、Yahooの「すべて」タブにあった見出しは、観客動員の低迷というネガティブな情報だった。編集部が選ぶ「主要ニュース6本」に入ったのは、日本の優勝でも、日韓戦の3連勝でも、ましてやジャーメイン良の活躍でもなかった。偏向報道という言葉は、こんなときにこそ用いられるべきものではないか。ひたすら追従してきた国がフットボールの真価を知らないせいで、わが国にも、似たりよったりの価値観が根強い現実を思い知らされる。大統領に向けたら歴史的な失言だとしても、つい呟きたくなる。なめられて、たまるか。
