言いたくなかったら言わなくてもいいんだよ
『晩餐ブルース』を観ている。再生中に寝落ちしてしまったが、3話か4話ぐらいまで記憶がある。
高校時代の同級生3人が久々に再会。
最近離婚したというアオイの呼びかけがきっかけだった。親身にアオイの話に耳を傾けるユウタ。だけど、店を出たあとコウスケに心配されてしまう。
ユウタがこの時間、生ハム2枚にアスパラ1本しか食べていなかったことをコウスケは見抜いていた。「帰ったらちゃんと食べなね」
この再会を機に、ユウタとコウスケの「晩活」が始まる。
料理人のコウスケの自宅で、2人で晩ごはんをつくり、食卓を囲む。
ユウタの食生活といえば、惣菜パンやおにぎりを仕事の片手間に腹に入れるだけ。家に帰っても寝るだけで、ろくなものではない。ユウタにとって晩活はおなかだけでなく心も満たされる活動となっていく。
一方のコウスケは、実はすでに料理人をやめていたが、そのことを2人に打ち明けられずにいた。2人に嘘をついていることを苦しんでいた。
カウンセリングの先生は「無理に打ち明けなくても、そのときまで持っていていい嘘もあるんじゃないか」と助言。
だけどユウタもユウタで、知ってしまったのだ。コウスケが料理人をやめたことを。友人が働いている姿をみにいこうと、コウスケの(元)職場に足を運んでしまったから。
だけどユウタは、コウスケが打ち明けるまで黙っていた。コウスケが打ち明けてから「知ってたよ」と。
∽∽∽
だいじなことほど、苦しいときほど言い出せない、そしてまた苦しい。
けど、何となくそういうことも吐き出したもん勝ち、みたいな風潮ってないだろうか。
「あのときの裏側」や「苦しかったストーリー」を言語化して得られる共感があって、フォロワーが増えたり、商品サービスが売れたり。それはそれで否定はしない。だけどこうやってnoteを書いていると、そういった文章や映像に日常的にふれているせいか、自分もさらけ出さねばならん気持ちに時として襲われる。別にバズろうとも思っていないし、何かを売ろうともしていないのに。
もちろん、打ち明けることによって得られる安心感や応援もあるだろう。わたしだって「もっと早く打ち明ければよかった」と思ったできごとは過去にひとつやふたつじゃない。
晩餐ブルースも、それぞれが苦しみを少しずつ打ち明けて、疲れきった心を癒していく物語なんだと思う。
でも今この時代では「やっぱり今のなし」がしにくい。わたしみたいな一個人ならリスクは小さいけど、とくに著名人やインフルエンサーは一度ネットに投稿したら一気に拡散され、切り抜かれ、削除が効かない。
これを怖いと思うわたしは臆病すぎるんだろうか。
わたしは日々のできごとをnoteに垂れ流しているが、秘めておきたいことだってあって、わざわざ文章にはしない。たとえばどんなに「仕事につながるから書いたほうがいいよ」と勧められても、ひらきたくないものはひらきたくない。
晩餐ブルースでカウンセラーの先生が言った「持っていていい嘘」は、言い換えれば「(今は)言わなくていいこと」だ。
言葉を使う人間、言葉に携わる人間として、言葉がナイフにならないように気をつけたい。そして、ひとにナイフを突き立てるようなまねもしないように気をつけたい。
もしもわたしがユウタだったらコウスケに対して「知ってたよ」とは言わないだろうな。
だって本人が知られたくなくて隠していたんだから。だから「知ってた」とは言わない。たとえ知らなかった素振りが下手で本人にばれてしまったとしても、それは持っていていい嘘として持ち続けたいと思うんです。
晩餐ブルース、続きが楽しみです。
今日も読んでくれてありがとうございます。
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