ピアノ:夏の収穫
楽しみにしていた実家のベランダのゴーヤが、予想を超えて成長していた。私の帰省に合わせて収穫時期を遅らせたので「育ちすぎた」と母の談。



ルンルルン♪
などとつぶやきながら、ピアノレッスンを予約するべく師のLINEに連絡した。候補日をいただき、
ぜひ、こちらの日時でよろしくお願いします。
ありがとうございます。
と返したら、師から初めてLINEスタンプが送られてきた。驚いたことに、「ルンルン」という文字の付いたコミカルな動物のスタンプである。その、軽妙な顔でスキップする姿がおかしくて吹き出した。師がご機嫌なのか、私がルンルンしているのがバレたのか。
🎶
今回のレッスンは少しばかり期待していた。
「上達した」とは言えないにせよ、やっと体の使い方が変わってきたと明確に感じていたのだ。
ピアノを再開してから長いこと、音を出すのが怖かった。私の演奏は元々、スケールがとっても小さい。ブランクを経た後はさらに縮こまり、重心が下に落ちないことに悩んでいた。余分な動きが多いのでミスタッチも減らない。
体の使い方について何かヒントがあればと、様々な本を読んでみた。アレクサンダーテクニークに関するもの、〇〇奏法と名のつくもの、脳の働きや体について医学的観点を踏まえて教えてくれるものなど。
筋肉や柔軟性も大事だろうと、ヨガ、ピラティスも細々と継続してきた。
昨年、師とは別のピアニスト先生のレッスンで言われたことがある。
「あなたの演奏は音楽的でチャーミング。でも、この先に進みたいのであれば、タッチを少し変えた方が良いと思う。」
それでレッスンは、指ではなく肘や腕を鍵盤にあてて音を出すところから始まった。何も考えずに前腕の全てで音を出したら不協和音がゴンっと鳴るはず。
それが、鳴らないの。怖くて思うように腕が落ちないの。鳴るのはたしかに不協和音だけど、へにょ、という感じ。
「あのね、『ただの音』って出せますか?何の色も付いていない音。ピアノはすごく大きいんです。壊れませんよ。それから、その、『踏ませていただいてすみません』という感じのペダルもやめましょう。ペダルは『あるから使う』んです。」
もちろん、力任せにピアノを扱うという意味ではない。ただ、何もない音を出すのはとても難しいと改めて考えさせられた。
この点に関して月1のレッスンでは、少し長い目で見ていただいている。約1年半前の初レッスンで、「(力は)少しずつ抜けてくると思いますよ」とおっしゃっていた。
それ以降ずっと意識してきたのは、何かを足すのではなく、不要なものを取り除いていくこと。自然な形で次の音の準備ができること。今出した音と次に出す音を冷静に聞くこと。
言葉にできても、実践するのはあまりに難しい。
最近になって、もっとピアノを信頼しても良いのだと感じ始めた。同様に、自分を信頼しても良いのだ、とも。
「弾けなくてすみませんと思いましょう」という音楽記号は楽譜には書いていない。
それから、指揮を執るのは自分でも、音を出してくれるのはピアノの方なんだな、と思うこともあった。どっしりしたピアノと釣り合いをとりながら協力する感じと言うのだろうか。長いことピアノに対して一人相撲をとっていたのかもしれない。
それで迎えた今月のレッスン。
師はいつも、最初の演奏をピアノから何メートルも離れた場所で聞く。とても緊張する。
いざ弾き始めたら、何故かいつもよりピアノの音が聞こえない。見えない位置に置かれた扇風機か除湿機の音ばかりが耳に入る。ソフトペダルと床を行き来する左脚のタイミングがうまく計れない。指が滑る。こんなはずじゃないのに!と思いながら最後まで通した。
それでも。
演奏が終わると師は立ち上がって、「良かった!」とおっしゃった。私にとっては快挙である。
初回演奏後はたいてい、うーん、という反応をいただく。
「これはもうちょっと楽譜をきちんと読まないとダメかな。」
「家では恐らくもう少し弾けていたんでしょう。」
でも今回いただいたコメントに含まれていたのは、
体がラクになって、風通しが良くなったこと。
変な間が消えて、曲がまとまっていること。
見ていて「動けるな」と感じること。
声が出ていること。
「びっくりした、と言うのは失礼かもしれないけど…素晴らしいですよ。」
いくつもの動きを排除した結果「動けるようになった」というフィードバックは真理だと思った。映画『マトリックス』のモーフィアスの低い声が頭をよぎる。
You’re faster than this. Don’t think you are, know you are.
(速く動こうと思うな、速いと知れ。)
さて、ここまで書いて何だが、師が褒めてくださったのは、まずもって本番が近い生徒への励ましにすぎないであろう。
それでも嬉しかった。過去の本番前には聞くことのなかったお言葉だから。
教えていただいたからと言って、すぐにできることは少ない。レッスンとは、いつか気付いた時に自分で照らし合わせるための辞書のページを1枚ずつ増やしていくことだと思う。
水をやり続けた何かの、点と点が少しだけ線になり始めたような気がする。そんな小さな収穫が、割と暴力的に心を揺さぶっている。

