今日ときめいた言葉432ー「民主主義への総括は尚早」(いま民主主義に失望している私たちに)
(2025年8月5日付 朝日新聞 耕論「お手本だった欧米?」
早稲田大学教授・憲法学者 長谷部恭男氏の言葉から)
もうずーっとガザの悲劇的な状況を変えることができずにいる。トランプが大統領選挙に敗れた時、彼の支持者が議会議事堂を襲撃する事件が起きた。ロシアがウクライナに侵攻する事態が起き、もう3年が過ぎた。アメリカに第二次トランプ政権が誕生してからは、今まで築いてきた世界秩序が脆くも崩れようとしている。ヨーロッパでは極右政党が勢力を伸ばし、ここ日本にもその兆候が始まってしまった。
我々はこんな現状を見て、ずっとお手本にしてきたはずの欧米の威光が揺らいでいると感じている。そんな我々の民主主義への失望に対して長谷部教授が答えている。
「日本はずっと欧米をお手本にしてきた」明治期に岩倉使節団が欧米を歴訪して以来、そして戦後も欧米を目標とする発想は続いている。
「そのお手本に揺らぎが見えてきたという意識があるとしたら、根っこにあるのはポピュリズムの台頭に対する警戒感」だろうと。しかし、
「民主主義は失敗から学ぶことができるシステムである。いま調子が悪いからといって米国の民主主義システムそのものをダメと総括できるものではない」
民主主義については、100年以上も前にマックス・ウェーバーは以下のようなことを言っているという。
「民衆は政治的主体としてあてにできない」
「民衆ではなく少数のエリートが議論を方向づけ、カリスマ的な指導者が民衆の鼻面を引き回すのが民主主義なのだ」
民主主義は昔からそうであったし、今もそうであると。「『欧米が混乱しすぎて日本の方がましに思えてきた』と感じる人がいるなら、日本が切るべき舵を切っていない可能性を疑うべき」であるという。
近代国家には二つのモデルがある。一つは、政府が国家目標を設定して、達成された果実を公平に分配する国家。もう一つは、国家目標を掲げず、どう活動するかは個人や企業に決めさせる国家、これが新自由主義。
グローバル化による労働コストの切り下げから国民が貧しくなったことを受け、欧米では前者に舵を切る動きが進んでいる。富を自国民に分布することを目標にして多国籍企業の国内活動に制限を加えるなど。
それに対し日本ではまだ新自由主義の影響が強く、転換が進んでいない。だから今政府に突きつけられているのは、欧米が相次いで舵を切る中で日本だけが今のままでいられるのか、という問いである。「日本ファースト」という気分は、この問題意識と同根である。政府には国家目標に国民を従わせるにしても自由を損ねないような慎重な舵取りが求められているのだと。
