今日ときめいた言葉466ー「便利すぎる世・家事を自分の手に戻す」
(2025年9月13日付 朝日新聞 くらし 生活史研究家 小泉和子氏の言葉)
我々が日々逃れたいと思っている家事のこと。
小泉氏は家事労働について次のように振り返る(要約):
戦前の昭和は家事のすべてが女性に背負わされてきた時代だった。延々と続く重い家事からの解放は女性の願いだった。戦後になって、服装が洋装になり、家の間取りが居間中心になったり、家電が普及して家事の負担が少しずつ軽くなった。
その後も省力化は進み家事の代行をする商品が開発された。それは女性の願いに応えるもので家事が家庭の外に出て行ったということだ。大型スーパーや24時間営業のコンビニが現れ、大量消費大量廃棄が当たり前になり、人間の体内からマイクロプラスチックが検出される事態にまでなった。しかし、これは便利で快適なことが生活の豊かさだという勘違いが招いた結果である。
そして、家事についてこう語る。
「家事は人が生きていく上で不可欠です。便利さだけを追求し、むやみに省力化すれば大事なことを見失う。もちろん、女性だけではなく、男も女も子供でも、誰もがかかわらなければいけないことなのです。家事が知恵を生み、人を鍛える力があることも忘れてはならないでしょう。
家事の何をどこまで自分でするかという線引きはありません。それぞれ自分で考えて選択するのです。肝要なのは、企業任せにするのではなく、家事を自分の手に取り戻すことです」
我が家では「家事はお母さんの仕事ではない」といい続け、家族全員が家事を分担して行っていた。三女などローテーションで洗濯物干しが回ってくると「大物、小物」と仕分けして洗濯機から取り出して一生懸命干してから、学校に行っていた。小学1年生くらいだったろうか。オットが洗濯物を干すたびに「子供たち、冬はどんなに冷たかっただろうな」とよく言う。
でもあの頃、子供たちはどんな思いで家事をしていたのだろうか。おそらく「お母さんの仕事を手伝ってあげている」くらいの気持ちだったと思う。だからその時は、家事は自分のことなんだという意識などなかっただろう。
結婚して子供が産まれフルタイムで働くようになった娘たちが、ある時こんなことを言った。
「夫に何か手伝おうかと言われるとムカつく。家事も育児も自分のことだという意識がないのよ。あくまでサポーターの意識なんだよ」と。
彼女たちもあの頃の私の気持ちがわかったのだろう。家事は自分のことなのだという意識を持つまでには時間がかかるのだ。

