【5丁目橋のヤマドリ】 街に潜む飛ばない野鳥じゃない鳥たち1
秋田市中心部を流れる旭川にかかる五丁目橋。これより西には秋田市の飲屋街である川反地区、東には南通地区となっている。
橋の四隅には黒御影石のレリーフ彫刻が配置されていて、其の一つが秋田県の鳥『県鳥』に指定されているヤマドリがデザインされている。羽を広げて飛ぶ様を後ろから描く面白い構図で、僕は結構好きです。

羽を広げたヤマドリ♂がいます。
旭川に架かるこの橋は、江戸時代には久保田城の城下町において、武士の町(内町)と町人の町(外町)を分ける重要な境界線ともなっていました。
また、幕末の戊辰戦争の際、久保田藩(=秋田藩)が新政府軍に寝返ったことに激怒した仙台藩の使節団が、この五丁目橋のたもと(現在の川反観音付近)で襲撃されるという痛ましい事件が起きた史跡でもあります。
その事件をもう少し詳しく見ていきましょう。久保田藩(秋田藩)は奥羽越列藩同盟から離脱し新政府側に転じる際、慶応4年(1868年)7月4日、同盟の説得に来ていた仙台藩使節の志茂又左衛門ら11名を殺害し、久保田城下の五丁目橋に首をさらしました 。
これに仙台藩が激怒し、庄内藩なども巻き込んだ秋田戦争が始まります。まさに「秋田藩の裏切り」を象徴する現場が、この五丁目橋なのです。
戊辰戦争の中でも、久保田藩は東北諸藩から見れば同盟を裏切って新政府側についた形になり、そのために戦後も冷遇された(いわゆる秋田三大事件など)という因縁も含めて、県内でも複雑な位置づけの史跡です。
橋の川反側(西詰)にある観音像は、殺害された仙台藩使者を慰霊するために建てられたものでした。かつて営業していた小料理屋の主人が30年間線香をあげ続けて、仙台藩士らの供養を続け、平成12年(2000年)の橋の拡幅工事でその小料理屋が取り壊されるのを機に、仙台藩士と川反を愛した先人たちの両方を慰霊する形で観音様が建立されたのでした。
観音様が平成12年(2000年)の橋の拡幅工事を機に建立されたということは、その拡幅工事のタイミングで橋自体、親柱も含めて改修あるいは新調された可能性が高いです。
だとすると、ヤマドリのレリーフも同じ2000年(平成12年)前後の施工と見て間違いなさそうです。黒御影石に意匠を彫る手法が平成初期~中期によく使われた土木景観整備のスタイルだったという時代背景からしても矛盾なく符合します。
五丁目橋を通過する際には、ヤマドリのレリーフを探していただいても良いし、戊辰戦争時の事件の史跡だと思って噛み締めて通過されても良いし、その後小料理屋の主人が慰霊し続けて川反観音があるとこに想いを馳せていただいても良いかと思います。これを読んだら、素通りは難しくなりますよね。
