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第2話 「ばさら大名」のDNA―観音寺城

 子供の頃に初めて見たNHK大河ドラマは「太平記」(1991年)である。北条高時を演じた片岡鶴太郎の狂気、徐々に悪役に変身していく柄本明の高師直―。かれらに続いて印象に残ったのが陣内孝則演じる「佐々木道誉」だった。
 近江源氏の佐々木氏。足利尊氏の味方なのかどうか分からない立場から、次第に貴重な協力者へ。豪奢な生活、実力行使や傍若無人な振る舞い、に加えて戦も強い、「ばさら大名」して描かれてきた。彼の一族は近江の地に根を張り続け、北近江の京極氏は浅井氏に支配者の地位を奪われたが、南近江の六角氏は強い勢力を保ち続けた。
 
 車で登れるところまで登った観音寺城は「観音正寺」への駐車場へと続いていった。途中、年老いた男性がゲートで料金を徴収し、手動でそれを上げる。「昔の関所に遭遇した気分だ」。同行した友人と笑いながら通過した記憶がある。

観音正寺から続く石段


 果てしなく続くように思えた石段を登ると、苔むした石垣が次々に現れ、そこが観音寺城の主要部だと気付かされる。石垣の石の一つ一つは、小谷城の石垣に比べて明らかに大きい。
 ただ大きな木や藪が生い茂り、麓へ下山しながら城全体を探索していくような根気は、まだ30代前半だった私にもなかった。姉川の戦いなどで華々しく戦った印象のある浅井家の家臣団に比べ、六角氏の家臣団は残念ながら、あっという間に信長の上洛過程で踏みつぶされてしまった印象しかないからだ。
 
 山頂付近には重臣達の屋敷が次々と並ぶ。石段だけ登れば立派な堅城に思えるが、この城は幾度となく落城を繰り返してきた。あくまで重臣達が集住し、六角家の偉容を示すための政治色が強い城だったようだ。観音寺城の石垣は六角氏が室町期に先駆けて導入した“都市的な城”の名残でもある。


 
 織田信長が築いた安土城とは、ほぼ尾根続きと言える目と鼻の先。信長の城も交通の要所を抑え、家臣達を城下に住まわせる形のものだったと思えば、もしかしたら観音寺城が持っていた「思想」を参考にした部分も大いにあったのだろう。


 
 織田信長のファンたちからすれば、六角氏はあっけなく敗れ去った旧勢力にも見えるだろう。それでもこの城跡を歩けば、「ばさら大名」として室町時代初期の先端を走っていた佐々木道誉の一族が持つ、DNAがかすかに残っている―。そんな想像力を働かせてくれる城でもある。

 六角氏は敗れたが、観音寺城の思想は近世城郭の原型として生き続けた。

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