まあ それはいいじゃない
いいのよ
以前、オードリー若林さんがANNで語っていたエピソードで、
子どもの頃、母親に理不尽なことをされて、納得がいかなくて問い詰めたら〝いいのよ〟とだけ言われて、どうしてなのか理由を教えてくれなかった
…という話がありました。(細かくは覚えていませんが、ニュアンス的に。)
私、まったく同じ経験があるんです。
幼い頃、母親によく「いいのよ」という言葉で、いなされていました。
約束を守ってもらえなかったときとか。「なんで!?○○するって言ったじゃん!!」「…いいのよ」みたいな感じ。
今思えば、子どもに理解できる言葉ではなかなか説明が難しい大人の事情がある場合などに、うやむやにされていたのかもしれません。
ですが、子ども心には納得がいきませんよね。
なんで自分がこんな目に合わなきゃいけないんだ。大人ってずるい。許せない。
…でも、結局は親に全て養ってもらっている身だから、自分ではどうしようもなく、泣く泣く受け入れるしかない。
そういう理不尽な体験が蓄積されたことは、まちがいなく今の自分を形成している要素のひとつだと思っています。
別に今も親を恨んでいるとか、そこまでの話ではないですが。
世の中にある〝いいのよ〟
誰しもが大人になるにつれ、様々なコミュニティの中でこういう〝いいのよ〟のような出来事を浴びていきますよね。
組織の一員として、ルールを遵守してしっかりと成果を出したはずの自分が思ったほどの評価を得られなかったなあと思っている一方で、ルールを破ったはずの奴が適正な処分を受けないまま「あいつはまあ仕方ない」となぜか許容されている姿を見て、なんで!?と思う経験とか。
正しいことが否定され、正しくないことが是とされるようなこと。とても承服しかねる、でも自力では抗えないから涙を飲むしかないような場面。
そうやって、段々と「まあ、世の中こんなもんか」と歯切れ悪く受け入れるようになっていくわけです。いちいち抵抗していたってしょうがないと悟っていく。
チャリで来た
余談です。
自転車は道路交通法上、原則として車道を走らなければならないというルールをご存じでしょうか?おそらくほとんどの方が認識されていると思います。
私は運転免許を取得する際に、この規則を初めて知り、けっこうな衝撃を受けたことを覚えています。
特に地方出身の方はそうだと思いますが、普段、生活していて自転車が車道を走っていることなど、ほぼ見かけません。歩道を利用します。
そして歩道を通行している自転車が、警察に取り締まられている光景など、見たことがありません。
…おかしくない!?
私自身、子どもの頃から自転車は歩道を走るものだと思ってずっと生きてきました。自転車を買うときに、「自転車は車両であるから、車道を通らねばならない」というルールなど教わりませんから。
周りの人たちも大体みんなそうです。
自動車の運転免許を取得するタイミングで初めて「自転車も車両扱いである」ことを学ぶのです。つまり、それまで知らないうちにずっと違法行為を続けて生きてきたことになるのです。
……おかしくない!?
そんな法律があるなら、本来であれば、自転車を購入する全ての人は事前に道路交通法を勉強しなけらばならないし、自転車を利用するための何かしらの資格・免許を持っていないと運転できないという仕組みにしなければならないですよね!?
厳密には、そうなるはずです。
確かに、多くの場合、自転車は自動車に気をつけながら車道を走るより、歩行者に気をつけながら歩道を走ったほうが安全だと感じます。
実際、自分が車を運転している際に、自転車が車道を通っていると正直「邪魔だなあ」と思ってしまいます。最近だとウーバーとか、交通量の多い車道を走る自転車も増えてきました。
いや、だとしたら!「自転車は車道を走らなければならない」というルール、要らなくない!?
ほぼみんな守っていないんだし、それを取り締まってもいないんだし、実際そっちのほうが安全なんだし。
…みんななんでもっと、
「おかしくない!?」って言わないの!??
昔からずっと不思議なんですよ。
「自転車は交通状況に合わせて、車道と歩道の両方を利用してもよい」ということに決めてしまったほうが、みんなスッキリしませんか!?
いやそんな熱量を持って言われても。気にしすぎだよ。
まあ、それはいいじゃない。
…と言われてしまいそうですが。
陰謀論
〝いいのよ〟という言葉ひとつで、うやむやにする。
これって、大げさですが、国家が国民に対して経済の本質について義務教育で学ぶ機会を与えないのは、世の中は頭の良い権力者が情弱な庶民から搾取する仕組みになっていることを悟らせないためだとか、そういう規模の話に繋がるような気がします。
大袈裟でしょうか?
