男女の友情!?
成立する?しない?
よくディベートの議題で挙がるテーマですよね。
わかるんです、ディベートやお遊びだったら。本気でどう思っているかではない、自分の思想に関係なく、ときには逆の立場で、相手を論破する材料や話術を頭の中で組み立ててアピールする能力を競うのが趣旨ですから。
でも、それがディベートではなく、ただ個人vs個人の意見のぶつかり合いの〝ガチ論争〟だったら。本当にしょうもない議題だと思います。
大喜利のお題と一緒です。「こんな忍者は嫌だ。どんな忍者?」について本気で言い争わないですよね。
「友情」の定義なんて人それぞれじゃないですか。辞書にどう書いてあろうが、10人中10人の意見が一致することなどない。境界線の引き方は十人十色です。
でも、その根本を理解していない一部の人たちがいますよね。真正面から必死になって論破しようとしてくる輩。
表現は悪いですが「なんじゃコイツ」と思ってしまいます。

もっと言うと、この場合「友情」の裏側にあるのは「恋愛感情」ですよね、往々にして。
当たり前ですが、友情と恋愛は対義語ではありません。どっち?と問われても、どっちでもない「その他」が無数に存在するわけです。MECEじゃない。テーマがテーブルに乗った時点で、破綻している。
↓ちなみに私は全てのレディを愛する男です。

繰り返しますが、ファミレスで友人たちと駄弁っているときに笑いながらこのテーマでわいわい盛り上がって語るのは、私もおもしろいと思いますし、積極的に参加します。それぞれの持論を展開し合って、互いに共感したりツッコんだり。
そうやって盛り上がって、くだらなくも楽しい時間を過ごす。結論を出すのが趣旨ではない。
意見が食い違ったところで、後腐れがあるわけでもなし。
真面目に話すような議題ではないじゃん、そのくらい理解しましょうよ?という話です。

↑ちなみにシャンクスの主張が正解だそうです(おだっち曰く)。
このテーマに限った話ではありません。
言葉の定義や人の感情は、各々で曖昧です。とても当たり前の話です。
ものすごーーく雑な表現をすると〝大人がしょうもない話題でガチになってんじゃねえよ〟ってなことです。
世界情勢や政治経済や人種差別の問題など、同じく〝明確な正解がない〟真剣なテーマは常にあるものの、それらとは議論のベクトルやカテゴリが全く違うわけで。
ゴールに辿り着くことを目的としていない会話。
冷静に考えたら、理解できるでしょ?
成立する?しない?
ここで持論を。
私は「男女の友情は成立しない」派です。
おばあちゃんと小学生の男の子だとか、発達障害者の方との関係性とか、そういった事例を除いた場合を前提とした話です。
たとえば同級生の男女の関係性とかを想定しています。
回答の理由は「相手を異性と認識した時点で、友情関係は破綻している」という思想を持っているからです。
いわゆる〝異性として意識している〟というのとは別で、あくまで〝認識〟です。我々は目の前の相手に対して「この人は女性である・男性である」と判断するじゃないですか。
そうなると、異性であることによって対応が変わってくる。
相手が重い荷物を持っていたとして、助けようとするか否か。
女性だったら仲の良さに関わらず一声かけるけど、もし同級生の健康な男性だったら、求められない限り自分からは絶対に助けない。いやそんなことしたら気持ち悪い。
少なくとも私はそうです。
ある意味、一種の〝差別〟ですよね。
性別によってカテゴリを分けている。
性別を〝認識〟した結果、行うべき対応を変えているわけです。平等じゃないですよね。そうなるともう、同じ「友情」という枠内には収まらない。
だから私の中では区別しなくては気が済まない。
共感や同意など一切求めていません。
だから、あくまで個人的な定義の話。

またもや雑な表現になりますが。
相手が本気でムカつくことを言ってきたときや、人道を外れた行いをしようとしていたとき、
そいつを全力で殴れるか
が、なんとなく私の中で友情の基準です。
紳士は、相手が女性だったら、何があっても絶対に殴らないじゃないですか。どれだけ仲良しの間柄だって。
でも親友の男だったら遠慮などしません。すなわち、性別によって、いくばくか気を遣っているということになります。
故に、年齢や立場にかかわらず〝女性である〟という時点で、私の中の「友情の定義」から外れるのです。
極端な判断基準なんだろうなと我ながら自覚はしています。
でもそういう奴も世の中にいるわけで、だからこそ、ムキになって討論しても無意味なんです。
分かり合うことや解決することが目的じゃないんです。
笑い飛ばしながら和やかに喋りましょ。
↑この動画から着想を得て、この記事を書きました
