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人生何周目?

 〝人生○周目〟って言葉、便利でよく使っちゃいます。

 私はどちらかというと否定的な意味合いで使用することのほうが多いです。
 理不尽な言動で周囲に迷惑を与えている人に遭遇した際に「ああ、あれは人生1周目なんだな。じゃあ仕方ない。」みたいな。そう思うことで自分の中のイライラを抑えるというか。

 この◯周目のレベルが低い人というのは、周囲への配慮が足りない人、無神経な人、想像力が欠如している人、対人感受性を疑ってしまうような人などのことを指す言葉だと私は理解しています。

 もちろん、非難している私自身がそういう面を持っていないかと言われれば、全くそんなことありません。
 日々、至らないことの連続で、やっちまったなと反省することばかりです。
 うわー、今の自分、空気読めてなかったなぁ、とか。穴があったら入りたいと毎日のように思っています。まだまだ私の装備は木の棒と皮の服です。

 ただこのワードで表現するなら、少なくとも〝俺は「1周目」ではないな〟という自信があります。
 自分よりも明らかに品性が薄いと感じる人を日常で目にするからです。

 わかりやすい例で言えば、エレベーターや電車内で大声を喚き散らしている人とか。自分本位で周囲に迷惑をかけている、マナーやモラルを逸脱している〝輩〟たち。

 たしかに人生、色々ありますし癇癪を起こしたくなることは誰しもあるでしょう。でも、公共の場で踏み越えてはいけない一線ってありますよね。
 それが法令に抵触しなかったとしても。

 ただ、見ていて「うわぁこの人クズだなー」と苛立つと同時に「自分もけっこうなダメ人間だけど、さすがにここまでヒドくはないな」という安堵感も得ているのはぶっちゃけ事実です。



 逆に、自分には到底、辿り着くことができないなぁという地点に達している人格者の方と出会うことだってあります。
 どうしてそこまで寛容になれるの!?という聖人のような。自分だったら絶対にイライラする状況なのに、この人はどうして笑顔を絶やさずにいられるの?という菩薩属性人間
 たとえばもし私が人生3周目だとするなら、このお方はもはや300周目なんだろうな、なんて思います。装備、エクスカリバー。

 日常において、ほんの些細なことで腹を立てたり、根拠のない不安や動揺に襲われたり、自らを俯瞰で眺める冷静な視点を失ったり。
 そんな不安定な自分を振り返ると恥ずかしくなります。

 そして、今の周回目の自分では、それを乗り越える境地に至ることは死ぬまでないのだということもわかっています。
 あんな心の広い人には、一生なれないなあ。そう悟ってしまう。

 「生まれ変わり」がもしあるのなら、来世ではもっと徳を積んだレベルで臨む人生でありたい。人生100周目を目指したい。
 …だなんてファンタジーを本気で語りたいわけではありません。

 ただ、今、生きている現世(うつしよ)において、憧れの存在を目指して少しでも精進しようとするマインドだけは胸に置いておきたい。あのレベルに達することはできなくとも、追いかける姿勢だけは持ち続けたい。
 そう思うのです。

俺も徳を積みたいです升野さん


 みんな人生1周目です。

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