含み損が出るたびに、自分までだめに見えた日──自己否定と距離を取る[投資×心理]
含み損より先に、自分を責めていた
投資を始めた頃、私は含み損が出るたびに、銘柄そのものより先に自分を責めてしまうことがありました。
たとえば、仕事のお昼休みにスマホで口座を開いたときです。
朝はそこまで気にしていなかった保有株が、昼には少し下げていて、評価額がじわっと減っている。
たった数%、たった数万円の話なのに、その赤い数字を見るだけで、気持ちが一気に重くなることがありました。
その場で何か大きな悪材料が出たわけでもない。
決算の前提が崩れたわけでもない。
長期で見れば、まだ途中の値動きにすぎない。
頭ではそう分かっているんです。
それでも私は、画面を閉じたあとまで、ずっとその数字を引きずっていました。
午後の仕事をしながらも、頭のどこかで
「なんであのとき買ったんだろう」
「もっと待てばよかった」
「また同じことをしている」
みたいな言葉が、何度も小さく流れてくるんですよね。
しかも、しんどかったのは含み損そのものより、そこからすぐに自分の性格や判断力の話に変わってしまうことでした。
「この銘柄が下がっている」
ではなく、
「この銘柄を買った自分はだめだ」
に、いつのまにかすり替わっている。
今思うと、私は相場を見ていたというより、赤い数字をきっかけに自分へのダメ出しを始めていたのだと思います。
今日は、この「含み損で自己否定しやすい心理」の話です。
心の動き──含み損は、数字以上に心を削ることがある
含み損が出ると、気持ちが沈むこと自体は自然だと思います。
問題は、そのあとに何が起こるかです。
私の場合、最初はただ「嫌だな」と思うだけでした。
でも、その感情をそのままにしていると、だんだん相場の話ではなく、自分の話に変わっていくんですよね。
「この銘柄が下がった」から「この銘柄を買った自分は甘かった」へ。
さらにそこから、
「前もこうだった」
「あのときも見誤った」
「今回もだめなら、もうずっとだめかもしれない」
と、過去の失敗まできれいに並び始める。
ひとつの含み損なのに、頭の中では自分の失敗の総集編みたいになってしまうことがあります。
しかも、こういうときほど、他人のうまくいっている話まで気になりやすい。
自分の口座は赤いのに、誰かの利益報告はやけに鮮やかに見える。
すると、下がったことそのものより、比べてしまう苦しさまで重なって、必要以上に自分を責めやすくなります。
その裏側にある心理──結果と自分の価値を結びつけすぎる
ここには、いくつかの心の動きが重なっているのだと思います。
ひとつは、損の痛みは利益のうれしさより強く感じやすいことです。
含み益のときは「まだ増減するもの」と思えても、含み損のときは妙に現実味が強くなる。
そのぶん、数字以上に心が反応しやすくなります。
もうひとつは、結果と自分の価値を結びつけすぎることです。
投資では、どれだけ丁寧に考えても外れることがあります。
地合いもありますし、金利も為替もあります。
自分ではどうにもできない要素が、相場にはたくさんあります。
それでも含み損を見ると、私はときどき
「損している」
↓
「判断が間違っていた」
↓
「だから自分はだめだ」
と、一気につなげてしまうんですよね。
でも本来、ある時点で含み損が出ていることと、人の価値はまったく別です。
ここがくっつきやすいのが、この心理のしんどいところだと思います。
こわいところ──相場より先に、自分が怖くなる
この心理のこわいところは、落ち込むだけで終わらないことです。
自分を責め始めると、判断の軸がずれやすくなります。
本当は「前提が崩れたか」を見たいのに、いつの間にか
「もうこの損をしている気持ちを終わらせたい」
「これ以上、自分が傷つきたくない」
が基準になってしまう。
すると、まだ崩れていない銘柄まで早く手放したくなったり、逆に負けを認めたくなくて、無理なナンピンをしたくなったりする。
しかもその場では、それが冷静な判断に見えてしまうこともあります。
痛みから離れたい気持ちが強いほど、判断は「分析」より「逃げ」に寄りやすいんですよね。
含み損は一時的でも、含み損=自分はだめという結びつきは、次の投資にも残りやすい。
私はここが、金額以上にこわいところだと感じています。
対応策──含み損と自分を、少し分けて見る
私が少し楽になったのは、含み損をなくそうとしたからではなく、含み損と自分を分けて見るようにしたからでした。
まず意識したのは、事実だけを書くことです。
何がどれくらい下がったのか。
業績や前提は崩れたのか。
それとも、地合いや一時的な需給なのか。
頭の中だけで考えると、自分への評価まで混ざりやすいので、私はまず「起きたこと」を切り分けるようにしています。
次に、判断と人格を分けることです。
判断の振り返りは必要です。
でも、それは「買った理由は妥当だったか」「今の前提は残っているか」を見ることであって、「自分はだめな人間だ」まで広げる必要はないんですよね。
ここを混ぜないだけでも、かなり違います。
そしてもうひとつ、しんどい日は結論を急がないことも大事でした。
含み損で心が削れている日は、視野も狭くなりやすいです。
そういう日に大きな結論まで出そうとすると、必要以上に悲観に寄りやすい。
私は最近、しんどい日はまず「今日は心が疲れている日だな」と認めるだけにして、結論を少し先送りすることがあります。
それだけでも、自己否定の勢いは少し弱まる気がしています。
一言まとめ
含み損がつらいのは、自然なことだと思います。
お金が減る感覚は、それだけで心に重く乗ってきます。
でも、そこで自分まで否定しなくていい。
含み損が出たことと、自分の価値は別の話です。
相場には、自分では動かせない波がたくさんあります。
それでも私たちは、ときどき全部を自分の責任として背負いすぎてしまいます。
だからこそ、数字と自分のあいだに、少しだけ距離を置くことが大事なのだと思います。
反省はしてもいい。見直しもしていい。
でも、傷ついた勢いで自分を裁かなくていい。
含み損が目に入る日ほど、そのことを静かに思い出したいです。
ここまで読んでくださった皆さまへ
私は、含み損そのものより、そこから自分を責め始める流れのほうがしんどかった時期がありました。
皆さまは、含み損が出たときに、心の中でどんな言葉が浮かびやすいでしょうか。
もしよろしければ、そんな場面があればコメントで教えていただけたらうれしいです(^-^)
関連note
・利確だけ早く損切りだけ遅い私──ディスポジション効果と距離を取る[投資×心理]
・ドル円160円台で、私が少し気になったこと【ニュース×投資心理】
