言葉にしながら考え、自力で答えにたどり着く。イタリア式の学び方。<イタリアの生徒さん編 第1回>
オンライン家庭教師のalpacaです。
◆受験勉強のないイタリア
毎週月曜日と木曜日の23時からは、イタリア在住の生徒さんとのオンライン授業が始まります。
イタリアで生まれ育った日本人とイタリア人のハーフの女の子。現在は「Liceo Scientifico(リチェオ・シェンティーフィコ)」という、理系の進学校に通う高校1年生です。
日本にはまだ来たことがなく、今後の帰国予定もない彼女ですが、「高校を卒業したら、日本の大学に行ってみようかな……」と考えたことから、私に白羽の矢が立ちました。
ここで少し、イタリアの教育事情についてお話しします。
イタリアには日本のような「受験のための進学塾」がありません。その代わり、学校の勉強についていけなくなった時や、留年を回避するために個人で家庭教師をつけるのが一般的です。
そもそも、イタリアの高校には入学試験がなく、1点刻みで競う「偏差値」という概念も存在しません。日本とはかなり異なった教育環境です。
「受験がないなら楽じゃないか」と思われるかもしれません。
しかし、彼女が通うLiceoは大学進学を目指す超進学校。現地でも「勉強がかなりハードな学校」として一目置かれています。
受験勉強がない代わりに、彼女らに課されるのは過酷な日々の勉強です。
進級のハードルは非常に高く、容赦なく留年させられます。30人にも満たないクラスに留年生が数人いるのなんて、ごく普通のこと。
そして何より特徴的なのが、そのカリキュラムです。
理系の高校であるにもかかわらず、歴史、哲学、そして「ラテン語」などをがっつり学びます。特に哲学とラテン語のレベルは、半端じゃありません。
◆英語が「赤ちゃん言葉」に思える、ラテン語の迷宮
余談ですが、私も学生時代にラテン語を勉強したことがあります。 もう、それはそれは難解で、英語が赤ちゃん言葉に思えるほどでした。
英単語を覚えるなんて、九九を覚える程度に思えるくらい大変なのです。たとえば、1つの動詞に対する変化形は、なんと100通り以上。絶望的です。
さらに文法は非常に厳密かつ緻密で、感覚的な読み方を一切受け付けてくれません。
彼女を通じて理系高校にラテン語が必須であることを知ったのですが、なるほど、ラテン語を必須とすることには、確かな合理性があると感じます。なぜならラテン語は、極めて数学的で厳密な言語構造をしているからです。
英語や日本語はある程度「言葉の並び順」で意味を予測できますが、語順が自由なラテン語ではそれが通用しません。文頭の形容詞がはるか先の文末の名詞を修飾していたり、主節の中に従節が何重にも組み込まれていたり。まさにパズルを解くかのように読むのですが、油断するとすぐに迷子になります。
一見するとめちゃくちゃに見える構造の裏には、緻密な文法に則って設計された、精巧な論理構造が隠されているのです。
このような複雑な言語を論理的に検証しながら読み解くことで、生徒たちは鍛えられます。目先の情報の並び(表面的な文字面)に惑わされず、物事の裏にある「構造」や「因果関係」を捉える。そんな抽象的かつ論理的な思考力が、自然と養われていくわけです。
こうして「複雑な物事を論理的に読み解く力」、そして「物事の根本を疑い、自分の言葉で論じる力」が、日々の授業を通じて徹底的に叩き込まれます。
◆逃げ場なしの25分間。恐怖の「口頭試問」
そして、さらに大変なのが試験です。 日本との大きな違いは、ペーパーテストではなく「口頭試問」がメインであるということ。実際に、生徒さんから聞いた話を再現してみます。
ある日の歴史の授業中、先生から声がかかります。
『今日は私の番だ』
そうです、ついに口頭試問が実施される日がきました。
クラス全員が見守る中、先生と対面する形で席に着きます。
試問は、たとえばこんな風に始まります。
「それでは、19世紀のイタリア統一運動について、カヴール首相が果たした外交的役割を中心に説明しなさい」
これに対して口頭で論述していくわけですが、教科書の丸暗記は「0点」。一切評価されません。教科書の内容を完全に咀嚼し、自分の知識として組み立て直して、自分の言葉で、しかもその場で、再構築しなければならないのです。どこが問われるかは事前に知らされていないため、履修範囲の全域にわたって完璧な理解が求められます。
さらに、曖昧な論述や論理の飛躍があると、容赦なく突っ込まれます。 論述の途中であっても、先生から「そこはなぜ?」とストップが入ります。当然のことながら、それに対しても自分の言葉で答えるわけですが、先生が納得するまで「なぜ?」の追及は終わりません。
使う言葉にも妥協は許されません。専門用語をその意味や定義通りに正確に駆使し、まるで論文に使うような格調高い言葉遣いで、詰まらずに堂々とスピーチする能力も同時に問われます。
この極限状態のやりとりが、20〜30分間も続くのです。
口頭試問が終わると、その場で採点され、クラス全員の前で結果が発表されます。10点満点中、6点を下回ると不合格。
「5点です。理由は、カヴールの外交政策の背景にある経済的要因についての考察が浅く、表現にも正確性を欠いていたためです」
非情な宣告。留年に一歩近づいた瞬間です。
◆自由と引き換えの「自己責任」
イタリアの高校は、授業自体は基本的に13時頃までで終わります。学校から帰って自宅で昼食をとった後は、一見すると「自由時間」です。
部活はなく、体育祭や入学式、始業式といった学校行事もありません。もちろん、校則なんてあってないようなもの。夏休みは6月中旬から9月中旬までの、たっぷり3か月間もあります。
日本の高校生からすれば、その自由な環境が羨ましく思えるかもしれません。しかし、その自由の裏にあるのは、口頭試問に備えて自らを律して机に向かう、徹底的な「自己責任」の環境なのです。
◆この続きについて
彼女との授業を通じて、私は日々、日本の教育現場にいるだけでは気づけなかった新鮮な刺激をもらっています。
不定期になるかもしれませんが、今後の連載では、単に「海外の教育はすごい!」と紹介するのではなく、彼女のリアルな学びの姿を通して、日本の読者のみなさんにとっても、これからの「学びのあり方」や「思考の深め方」についての小さなヒントや、考えるきっかけをお届けできればと思っています。
ちなみに次回以降は、彼女との実際の授業の様子も少しずつ切り取っていく予定です。彼女の授業では数学とラテン語を扱っているのですが、ラテン語に関しては、共に学び合うといったスタンスです。
そんなラテン語の授業の一場面を切り取って、ときには、「大人向けの初級ラテン語講座」なんていうマニアックな企画も考えています。パズルを解くような知的な快感を、ぜひ一緒に味わってみませんか?
それでは、また次回の記事でお会いしましょう。
<イタリアの生徒さん編 第2回へ続く>
