社会人になった日は、ありません。──社会に出るとは、どこに出ることなのか?
私には、「社会人になった日」がありません
「社会人になったのは、いつですか?」
私は、この質問に答えられません。
なぜなら、就職をしたことがなく、就職活動も経験していないからです。
けれど、働いてこなかったわけでもありません。
10代から、学生でありながら個人事業主としてお仕事をしてきました。
大学卒業後も組織には所属せず、自分で契約を結び、自宅で完結させ、報酬を得ています。
だから私には、「今日から社会人になった」という境界が存在しないのです。
特殊なケースだと思われるかもしれません。
けれど、本当にそうでしょうか?
考えてみると、社会人という言葉がどこからどこまでを指すのか、明確ではありません。
どこかで明確な線を引けるのであれば、社会人になった日も説明できるはずです。
けれど、その境界は思っている以上に曖昧でした。
社会人という言葉は、誰を社会の内側とみなし、誰を外側とみなしているのでしょうか?
なぜ、社会に出る=会社に入るになったのか?
その背景には、日本独自の働きかたの歴史があるように思います。
現在の「社会」という言葉は、明治時代に西洋語であるsocialやsocietyを翻訳する過程で生まれた比較的新しい日本語です。
一方、「会社」という言葉は江戸時代から存在していました。
つまり、日本語では具体的な共同体としての会社が先にあり、社会という抽象概念は後から受け入れられたことになります。
もちろん、それだけで現在の意味が決まったわけではありません。
ただ、この順序は日本人が社会を理解する土台に影響を与えた可能性があるのではないでしょうか?
そして、高度経済成長期には新卒一括採用と長期育成が一般化し、企業が単なる職場ではなく、生活の基盤となる共同体としての役割を担うようになります。
終身雇用や年功序列のもとで、多くの人にとって社会へ出ることは会社へ入ることとほぼ同じ意味を持つようになりました。
その結果、社会人という言葉もまた、企業へ所属することを前提に理解されるようになったのではないでしょうか?
新入社員研修で、社会人としての基礎と教えられる内容を思い浮かべてみてください。
上下関係への適応、報告・連絡・相談、名刺交換や電話応対など、その多くは企業組織内で円滑に働くためのルールです。
もちろん、企業では重要な技能です。
けれど、それらは本当に社会全体で共通するルールなのでしょうか?
フリーランスであれば、上司への報告義務はありません。
電話応対を一切行わない働きかたもあります。
名刺交換を行わずに成立するお仕事も少なくありません。
2006年に経済産業省が提唱した社会人基礎力は、前に踏み出す力(主体性、働きかけ力、実行力)、考え抜く力(課題発見力、計画力、創造力)、チームで働く力(発信力、傾聴力、柔軟性、状況把握能力、規律性、ストレスコントロール力)という3能力12要素で構成されています。
つまり、多くの場合に教えられているのは社会で生きる方法というよりも、企業という組織で働く方法なのです。
派遣社員や契約社員、アルバイト、業務委託では、新入社員研修や社内イベント、福利厚生の対象外となることも少なくありません。
長年働いていても、会社の一員とは異なる位置付けになることがあります。
公務員や教師であっても、民間企業で働いた経験がない=社会人経験がないと言われることさえあります。
社会人という言葉は、企業で働くことを標準とし、それ以外の働きかたを標準から外れたものとして捉えやすい構造を持っているのです。
社会人という言葉が見えにくくしているもの
だからこそ、企業という枠組みの外にいる方々は、社会人という言葉と自分との距離を感じることがあります。
私は、10代からお仕事をしてきました。
もし働いている人を社会人と呼ぶのであれば、私は未成年の頃から社会人だったことになります。
社会人学生という言葉もありますが、それは一度社会人となった後に学び直している学生を指す言葉であり、一般的に未成年の学生を社会人学生とは呼びません。
もし就職した人が社会人なら、私は今でもその境界を経験していません。
働いている成人が、社会人なのでしょうか?
働いていて学生ではない人が、社会人なのでしょうか?
この問いに、明確な答えはありません。
社会人という言葉は日常的に使われているにもかかわらず、その境界は驚くほど曖昧なのです。
そのため、20代後半になった今でも社会的な責任や判断は担っている一方で、感覚としては10代から地続きのままです。
「ここで社会人になった」という境界が、私の中には存在しないのです。
同じような違和感は、様々な場面に現れます。
専業主婦が再び働き始めると、「社会復帰」という言葉が使われます。
まるで、その間は社会の外にいたかのようです。
けれど、家事や育児、介護をしていた人は、本当に社会から離れていたのでしょうか?
中途採用では、フリーランスや個人事業主の期間が企業での勤務経験とは別に扱われたり、企業での勤務歴を前提とする紹介や選考が行われることがあります。
けれど、フリーランスや個人事業主も契約を結び、税金を納め、誰かに価値を提供しています。
学生も学びながら消費し、人と関わり、地域の一員として生活しています。
社会との関わりは、企業への所属だけでも、働くことだけでもありません。
昨今は、終身雇用が当たり前だった時代と比べて働きかたが大きく変化しています。
副業やフリーランスなど企業に所属しない働きかたが珍しくなくなり、企業が人生全体を支える共同体だった時代とは状況が大きく異なります。
それでも、社会人という言葉だけは、企業へ所属することを前提とした時代の意味合いを色濃く残しています。
だからこそ、就職していない人や企業に所属しない人、お仕事から離れていた期間がある人がまるで社会の外側にいるかのように錯覚してしまうのです。
けれど、それは事実そのものではありません。
そのように見えてしまうのは、社会人という言葉が前提としている価値観によるものです。
社会に出るとは、どこに出ることなのか?
社会人という言葉は、なにを前提にしているのでしょうか?
企業に勤めているから、社会の一員なのではありません。
職を失っても、会社を辞めても、社会とのつながりが失われるわけではありません。
人は様々な営みを通じて、社会とつながっています。
学ぶこと。
子どもを育てること。
家族を支えること。
地域で活動すること。
そうした営みもまた、社会との関わりです。
私には、社会人になった日がありません。
それは社会に参加していなかったからではなく、社会に出るという境界を経験していないからです。
だから私は、この言葉を耳にするたびに考えます。
社会に出るとは、本当に「社会」に出ることなのでしょうか?
それとも、「会社に入る」ことを「社会に出る」と呼び続けてきただけなのでしょうか?
社会に出るとは、一体どこに出ることなのでしょうか?
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