日頃の行い

よく聞く言葉だけど、実は昔はあまりピンと来ていなかった。普段の言葉遣いがあまり良くなくても、気持ちの切り替え次第で幾らでも取り繕えると。
犯罪に手を染めてしまうだとか、この世のルールとして違法とされることさえしなければ良いだろうと。
ずっとそのような解釈で過ごしていた。

しかしある日気づいてしまった。
この言葉はライフステージが上がっていくにつれ、年齢を重ねるにつれ、深く身に染みる言葉なのだと。
日頃の行いには、言葉使いや所作、自身の機嫌の保ち方など多岐に渡るものを総称し、圧縮したものだと感じる。
そして一番大切なのは、年齢を重ねるにつれて取り繕う余裕なんてものは無くなっていくということだ。
家庭ができ子どもができればそちらに全集中せざるを得ないだろうし、バリバリのキャリア街道を進んでいる人もまた、仕事に追われて段々と肩にのしかかる責任感というものはズシズシと重みを増していくだろう。
そんな中で常に第三者に対し、意図的に良い対応を崩さず繕い続けるというのはぶっちゃけ不可能なのではないかと思う。
かくいう私も、若かりし頃はいざとなればそれくらいなんて意識で過ごしていてそれを実行することも容易であったが、今では見る影もない。たった数年でそんなものは崩壊してしまった。
もちろん、それを器用にこなす人もこの世には存在されているだろうとは思う。だがそれを意図的に続けられるのはある種才能であると同時に、やはり諸刃の剣ではと思うようになった。
心の余裕がない時でも人への優しさや思いやりを持てる人というのは、日頃からそれが習慣づいている人だけなのだろうと。
そしてそんな余裕が、その人から感じる気品や上品さに繋がっているに他ならないのではないだろうか。

まずは言葉遣いから。行動から。そして所作から。
そういった所からきっと、意識をすることで少しづつ、その人の纏うオーラや空気から気品や上品さ、物腰の柔らかさなどが生まれるのだと思う。
かっこよくも上品な大人を目指すには、そういった意識付けをしていくことから進めていかねばいけないなと思うのだった。

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